は資源や技術が伴って必要になって来る。
だけにこれまでのリーダーは、明確な思惑を持ちながらもそれらを穏便な態
度で裏に隠しながらの外交だったが、このところのものには「かの国」並に
陥ったかの「不甲斐無さ」が目立つのだが・・・。
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2014年4月4日、RFI中国語版は記事「メルケル独首相が習近平主席に贈った
中国の古地図が議論招く」を掲載した。

3月末、習近平(シー・ジンピン)国家主席はドイツを訪問し、メルケル首相
と会談。独中両国は緊密なパートナーシップをアピールした。
一見すると、良好な関係を築いているかのように見える。しかしメルケル首相
が習主席に贈ったプレゼントが“毒入り”だと話題になっている。
贈られたのは中国の古地図。宣教師がもたらした情報をもとに
フランス人が描いたもので、1735年時点での清朝の領域を示している。
しかし地図では新疆、チベット、内モンゴル、尖閣諸島は清朝の領域外とされ
ている。
表向きは中国との関係強化をうたいながら、領土問題や人権問題できついお灸
をすえたとの見方が広がっている。
さすがにこの地図は問題ありと中国側は判断したのだろうか、一部中国メディ
アは贈呈されたものとは違う古地図を掲載した。すげ替えられた地図を見たネ
ットユーザーが「メルケル首相は中国のチベット、尖閣領有を支持している」
と喜ぶ一幕もあった。(翻訳・編集/KT)
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=86108&type=

◆「嫌韓」「嫌中」論が溢れる日本―戦前の「鬼畜米英」の再来か?
日本の電車のつり広告や駅のキオスクなどで目にするのが週刊誌や
月刊誌、夕刊紙などの大見出しだが、韓国や中国をこき下ろすタイトルでいっ
ぱいだ。
朴槿恵韓国大統領や習近平中国国家主席を激しい口調で批判する論調のものか
ら、これらの国々の民衆の「民度の低さ」をやゆするものまで千差万別。
当該国の経済の先行きについて「破たん」「崩壊」といった一方的な見通し
を強調したり、否定的な面だけをクローズアップしたりする傾向が鮮明だ。
単行本や新書などの書籍でも同じパターン。書店の本棚の目に付くスペースは、
いわゆる「嫌韓」「嫌中」本で溢れている。
「嫌」のほか、「呆」「侮」などの大文字もタイトルに踊り、隣国を嫌悪し
侮辱する感情を読者に植え付け、煽りまくっている。
ヘイトスピーチに代表される、外国人を排斥するデモや街宣活動に共鳴する層
に訴えかけて購入させようという意図も透けて見える。
中国経済の崩壊論を10年前から上梓し、売れるので何回も改訂してきたが、
なかなか崩壊しないので困っている。どうして崩壊しないのか」と先輩の評論
家から尋ねられ筆者の方が当惑したことがある。
知人の月刊誌編集者は「読者の多くは中国の急成長ぶりに脅威を抱き、
中国のマイナス情報を求めているので、勢いアラ探し的な記事が多くなる」と
釈明した。
ある週刊誌の編集幹部も「中国、韓国の悪い話を大げさに書くと、確実に部数
がはける」と打ち明ける。
出版・新聞不況の中で「嫌韓」「嫌中」論は「貴重な金鉱脈」として期待され
ているという。
世間にそうした空気を醸している要因について大手メディア出身の藤田博司元
上智大教授は「最近の韓国、中国との険悪な外交関係であることは言うまでも
ない。安倍晋三首相の歴史認識を隣国政府が批判する。
首相を支持する人たちは反発し、いやが上にも反韓、反中の声を張り上げる。
メディアの報道にもそれが跳ね返る。
『憎悪』と『悪』の循環に発展させてはならない」(メディア展望4月号)と
警告している。
◆排他的ナショナリズムは「禁じ手」
筆者の取材経験でも、世の為政者は国が内政上問題に直面している時に
外に敵を作ってナショナリズムを煽り世論の支持を得ようとする誘惑にかられ
るらしい。
特に「領土問題」は国民の感情に訴え支持を集めるまたとない媚薬となり得る。
数々の悲惨な戦争を経験したヨーロッパでは偏狭なナショナリズムを煽るのは
「禁じ手」とされ、特に「領土」を政争の材料にする政治家は「最低」との烙
印を押される。領土問題は古今東西、ほとんどの戦争の引き金となってきた。
第一次、第二次大戦という史上最大の悲劇の誘因はドイツ、フランスなど国境
問題だ。その反省からEUはつくられた。
筆者が30年以上前に取材した、英国・アルゼンチン間のフォークランド紛争
(1982年)は示唆に富む。
大西洋上に浮かぶ絶海の小島をめぐり、領土ナショナリズムを煽った両国の為
政者とメディアの責任が大きいのは論をまたない。この無益な戦争で両国の兵
士1000人以上が死傷した。30年以上経った今でも抜本的な解決を見ていない。
当時の英国首相はサッチャー。日本では「鉄の女」として称賛される傾向にあ
るが、英国を含む欧州各国の多くの人々から「戦争扇動者」と見なされている。
2年前に石原東京都知事(当時)が主導した、尖閣諸島「購入」「上陸」計画
は平和の海に嵐を呼ぶ危険な挑発だった。
その後、尖閣問題をめぐり、日中双方に狭隘なナショナリズムが急速に広がり、
両国のメディアでは「けしからん」「もっと毅然と」「弱腰になるな」と勇ま
しい言葉が飛び交った。その後の「尖閣国有化」「反日デモ」を経て、いまだ
に緊迫した関係が続いている。
国内に難題を多く抱える中国習主席も、うっ積する民衆の不満を「反日」とい
う切り札を使って抑え込んでいるとの見方も多い。統制されている中国メディ
アが反日的な情報を国民に伝えることによってナショナリズムを鼓舞している
ようにも見える。
韓国も日本との間で「竹島問題」や「歴史認識」をめぐりでぎくしゃくした関
係が続いている。朴大統領や韓国メディアが日本を標的にして、
厳しい国内問題から国民の目をそらそうとしているのも同じ次元のようだ。
このようにぴりぴりと緊張した状況は、関係国の多くの国民に不利益をもたらす。
最も大変なのは、日中韓の最前線にいる人たちだ。
ビジネスマンやその家族、留学生ら在留日本人が影響を受け、
日本に住む韓国人、中国人たちも同じような不安を抱いている。
為政者とメディアが「鬼畜米英」と声高に叫び、国民を戦争に駆り立て、
悲惨な結果を招いた戦前の愚を繰り返してはならない。
レコードチャイナ 2014年4月8日2時14分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=86169&type=
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あちらのメディアは、なにより一党独裁の政治体制が足枷となっているから
政府におもねいて、代弁をしているのが目立つから、原因はすべて他に求め
何より自分達の正当性に傾注する論調なのだが、流石にドイツはそこら辺へ
の対処は「大人の皮肉」を全開させているのだから、どこか頼りないリーダー
は「赤っ恥」と相成る。
まして経済成長にかげりが見えて、バブル崩壊も囁かれると、引き締めに必死
で「経済の暗雲」の報道はめっきり減った。
それに連れて日本への直接的な「挑発行為」も減っているようである。
国内の不満も多民族国家のそれで、クリミア云々が与える影響に戦々恐々と、
引き締めも限界に来ているのかも知れない。
都心部の北京や上海は公害で、そして田舎との格差は怨嗟となって都市部と
政府へと向けられる・・・。
歪み切った制度的軋轢は、弾圧される漢民族以外の爆発的な不満から共産主義
の限界へと向かいそうである。
下の映画の感想をネットで見ていたら、なんともな政治情勢抜きにした中国の
映画の出来と、過去の日本への非難を鵜呑みにしたかの書き込みに、笑いが出
てしまった。
田舎の原風景と地味な仕事ぶりが、信念の下で続けられる「無国籍映画」とし
たのがスッキリ来るのが、なかなかの出来の「山の郵便配達」というものである。

http://www.youtube.com/watch?v=KbF9-Y4aWF0
「山の郵便配達」 〇一年公開作
北京でもないど田舎の山の生活をする人々にとって、郵便配達もまた大切な職業
である。
そんな地味な仕事の二代に渡る親子の物語で、寡黙に配達する親とそれを引き継
ぐ息子の会話もなく歩く姿には、背中で語る男の心情が溢れて、見事な風景と共
に見ている者を、その自然な中での暮らしに憧憬を持つという映像美が延々と続
くのだが、ここに中共という政治体制をはめ込むと、全く違って来て「忘れられ
た地域の悲哀」も出てくる。
そこに暮らす人は貧しくとも、それこそ暮らしを楽しむ術を持ちと、監督はそこ
らに焦点を当てて心洗われる映像美と相成るのだが、さてそこに都市部の文明の
利器が入り込んだら・・・。
そして何よりこういった映画が制約なく描かれていると思い違いをすると、共産
主義の監視というシステムを忘れてしまうが、これに少しでも政府批判であれば
検閲を受けて公開もされないだろう。
これと近い時期に公開された「初恋の来た道」という映画でも、政府批判したら
粛清のバツが待っているのに、教師役が戻ってこれるなんて空想を付け加えて
恋の成就してしまうなんてのが出てきて、その昔教育関係の友好訪問での監視役
のいちいちの「目配せ」をみれば、そんなことが何事もなく不問の訳はない。
「文化大革命」「天安門事件」という伝統的な粛清で、結果的に権力に寄り添う
以外の人の「知識人の欠損」が、今の監視社会の厳然たる組織固め。
それだけに見ている遊牧的暮らしの人々やしんどい仕事に励む親子の心情もファ
ンタジィー的作り物・・・。という鑑賞後の思いがたち込める。
映画自体は「明かりを灯す人」みたいな淡々として、そこに愛しい原風景が
あるのだが・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=OjXVfF4GQO0
「この櫂に手をそえて 」 九十七年公開作
こちらの作品は、一人っ子政策というものを鑑みれば、必死すぎる少女の愛おし
さも、また違った感慨が湧いてくるものであった。
内容は大道芸人が自分の技の伝授に、「人攫い」に頼んで男の子を盗んでくるよ
うにして、連れてこられたのが男でなく女であるという場面から、あとは少女の
演技は観客に泣くことを訴えるかの「いじらしさ」目一杯の感動してしまうもの
で、この少女の必死さが映画を物凄く引き締めて、何よりよかれと思った「人攫
い」で男の子を老人にもたらすと、誘拐として老人は囚われの目にあう。
それをこれまた必死に擁護しての少女の行動様式が、観客を泣かす。
と、その必死さが老人に通じて、親子といえる関係になるという「涙、涙の物語」
なのだが、ここで自分が女では官憲に捕まらないのに、男の子となると即座に
捕まる「一人っ子政策」の歪みについては、作品では流すが見ているこちらは、
「オイオイ」となる・・・。にしても、映画としては上手いと思う出来ではある。
と、二つの作品は出来も良いものだが、そこに中国映画というものを加味してみ
ると、避けるべは避けての作り方に、制作側の苦労を慮る。
あるいは政権批判を隠さなければ、作れない体制というものに対して不満がない
人々が「濃密な人間関係」だけに特化して・・・。
まぁ、中国という政治体制の歪みを鑑みれば、無難な題材はこんなものになるの
だろう。
「我的1997」
この時代は、香港返還というエポックがあった後だから、それなりに映画も
輝くかの、制約の中で作られた。この歌も「香港返還」を素直に喜ぶものだが
そこでも「香港に行くには許可が必要」で、それをおねだりす詩もはいるとなる
と、やっぱり中国だと思う次第である。
ネットの書き込みでは、そこらへんの政治体制が日本と同じと思っているようで、
そりゃ「あんた、勘違いでっせ」と、耳打ちしたい・・・。
と、思う次第です。
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といったところで、またのお越しを・・・。