が「六十年安保」に繋がり、そこからの解けぬ「思考法」が再び「利用される」
という側面が見え隠れするのが、「原発反対運動」のそれだろう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
脱原発デモに見るおじさんノスタルジー…懐かしき学生運動の記憶

毎週金曜日を中心に数万人が集まり、盛り上がりを見せる首相官邸前の「脱原発
デモ」。若者や子供連れのファミリーなど幅広い層が参加しているが、意外と
目立 つのが60代以上の姿だ。学生運動の記憶と重ね合わせたり、青春時代を
懐かしんだり。抗議運動の裏側で広がるそれぞれの人間交差点-。
大飯原発の再稼働問題をめぐり6月以降、活発に続く脱原発デモ。主催するのは
脱原発杉並」有志などの市民グループで構成する「首都圏反原発連合」で、毎週
金曜日の夕方から夜にかけて東京・永田町の首相官邸前に数万人規模で市民が
集まる。
政治色の強い組織や労働・学生団体も顔を連ねるが、短文投稿サイト「ツイッタ
ー」や「フェイスブック」での呼びかけを介して興味を持った会社帰りのサラリ
ーマンや主婦、親子連れもいるなどブームの様相すらみせている。
なかでも「原発やめろ!」と、ひときわ大きなシュプレヒコールを上げるのが6
0代以上の世代だ。
先月27日夕、最高気温34・2度の猛暑をおして駆けつけた都内で学習塾を経
営する男性(72)は、「若いころはベトナム戦争反対運動や反戦・反核運動に
参加していた。脱原発デモは当時のことを思い出します」と上気した表情で話す。
「ともに68歳」という静岡県富士宮市在住の夫婦は、北海道旅行の帰りに立ち
寄った。夫婦は「2人とも学生運動の経験があり、テレビでデモの映像を見て懐
かしくなった。せっかくなので見ておこうと思って」。学生運動に明け暮れた青
春時代を懐かしんでいた。
そんな層がいる一方で、自分探しと生活の張り合いを求めて来る人もいる。
東京都中央区に在住し、今年還暦を迎える自営業の男性は3年前、都内の大手企
業を退職した。悠々自適の生活を送っているとき、東日本大震災が起きた。
「実は、退職直後に妻とも離婚しまして…。1人で震災に直面して人生を見つめ
直したんです。何かやらなきゃと思っていた時に脱原発運動のことを知った。
今はこの運動の記録を残すことをライフワークにしようと考えています」(男性)
男性は、ここで得られる出会いも心を埋めてくれているという。
デモの最中に高校時代の同級生にバッタリ会ったんです。『お前もやってん
のか』なんて軽く会話した程度でしたが、うれしかった。同じ考えを共有する仲
間がいることを再確認できるのが励みになるんです」(同)
運動の規模は回を追うごとに膨らみ続け、7月最後の日曜日、29日夜の官邸や
国会議事堂付近には、主催者発表で20万人(警視庁の調べでは1万数千人)が
集まった。
長野県上田市の自営業で、今年還暦という男性は「若いころ、東京に住んでいた
んですが、デモを機に24年ぶりに上京しました。昔を思い出して、住んでいた
アパートにも足を伸ばしてみましたよ」と言って、群衆の中に消えていった。
(以上)
(夕刊フジ)
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120803/dms1208031227016-n1.htm
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
六十年代から、ベトナム反戦の七十年代を駆け抜けた若者は、運動の意義よりは
「連帯」というまやかし的「相互理解」に足を踏み入れ、それへの挫折から「ノ
スタルジィー」的運動として、反政府組織の「思惑」に踊らされた愚行を再び繰
り広げて、それに「にやり」と醜悪な煽動を感じるから「利用された若者」のな
れの果ては、再び利用されるのに使われるという構図が、なんとも鬱陶しい・・・。
その生命を賭けるわけでもなく、なんとなく「賛同出来る事柄」だからの行動なの
だが、そこにある曖昧模糊な「意見」に利用される団塊と、その昔の気概には雲泥
の差が見て取れるのには、やはりなのか「劣化をし続ける日本人の精神」が色濃く
滲むからか・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
8月15日は71回目の終戦記念日である。今春、『太平洋戦争 最後の証言』三部作
を完結させたノンフィクション作家の門田隆将氏は、100人を優に超える老兵たち
の声に耳を傾け続けた。
人生の最晩年を迎えた彼らが日本に遺したかったものとは何か。門田氏が振り返る。
私は、艦と共に沈む時、母親の顔や、自分の葬儀のありさまを思い浮かべた水兵た
ちの話を数多く聞いた。
そうまでして守ろうとした日本のいまの姿を憂う声は実に多かった。
多くの若者が、世の中のなんの楽しみも知らないまま死んでいった時代。
彼ら戦争世代は、甘えや癒しの中に逃げ込み、権利ばかりを主張するようになった
今の日本人をどう見ているのか。
当時の若者が持っていた“諦観”を語るのは、人間特攻兵器「桜花」の生き残りで
ある松林重雄さん(九一)だ。
“生還が期し難い特殊兵器”である桜花に志願して、厳しい訓練をおこなった一人
だ。
「私は、進んで志願したんだよ。あの頃、戦争に負けるってのは、もうわかってい
ました。われわれは、家族と、当時はまだ独身だから彼女とかね、そういうものの
ために我々がやればいくらかいいだろうと、志願するんでね。天皇陛下と言う人も
いるけど、それとは違っていたなあ。
あとは、卑怯者と言われたくないという気持ちもあったね。あの頃の男には、
やっぱり“男ならやらないかん”という思いがあったからね。そりゃ当時の教育も
もちろんありますよ。
まあ、生まれた時が悪かった、と諦めていたこともあったと思う」
それこそが当時の若者の“諦観”ではなかっただろうか。
諦観とは、仏教用語で、人生の真相や仕組みを見抜くことを表わし、人生に対して
確かな洞察力をもって生きることを意味する。
自分たちの短い人生に諦観をもって生きた大正世代は、「命」そのものに対する愛
惜の情を持っていたのではないだろうか。
彼らが人生の最晩年を迎えて、今の日本に静かな怒りを抱いていることを私は大正
世代の話を伺いながら思った。
松林さんもこう語った。「やっぱり怒りを覚えますよ。今のざまは何だ、とね。
こんなはずじゃなかった。
http://www.news-postseven.com/archives/20120813_136226.html
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「生き残ってしまった」と贖罪としての老人に目には、「反原発運動」はどう映る
のだろうか・・・。
にしても「決断を止めた日本人」には、憤りを覚えるのは理解出来る。
散って逝った人々への敬意と鎮魂の日として、終戦記念日がありそうなのに、
かまビしい「近隣国」の愚行と言動には怒りを覚える。
そしてそんなものを「一喝出来ぬ政府」にも、命を賭した先人達は、こんな
未来が待っていようとは思いもしなかったろう・・・。
教育の問題がここでもクローズアップしてくるが、そんな教師として戦争に
巻き込まれても「自分の矜持」を全うして賞賛された教師も存在したのを
映像にしたためたのが「太平洋の奇跡」ではないだろうか・・・。

「太平洋の奇跡」 十一年公開作
「本書を、自らの国のために全力を尽くし、報われることのなかった、現代の日本
人の父親たちに、祖父たちに、伯父たちに捧げる。」
原作本の序文には、敵であってもアッパレという敬意と尊敬が滲み、生死のやり取り
がより人間を理解させるを物語っているようである。
物語はサイパン島でのものだが、そのサイパンの「玉砕」ではなく最後まで「戦闘命
令」を守り、そして島内の日本民間人を守り抜く四十七人のリーダーの奮戦記である。
そのリーダーが教師であったというところが、より驚きのものだが、そのリーダーを
竹之内豊が、何時も理路整然と冷静沈着に行動するとかが、見た人にとっては「感情
の起伏」のなさが不満と見えて、映画評があまり芳しくないのだが、教師としての職
域を加味すると、感情の起伏がないところに、先人の教師像が「先生」と呼ばれるの
に相応しい「矜持」を持っていたと理解すると、抑えた演技もアリとなりそうだが、
この映画までは「サイパン・バンザイ岬」のそれしか知識がなかったから、こちらに
はこの映画の「玉砕」でなく、最後まで「生きて戦う」という精神性には、新鮮な驚
きであったから、なかなかに見ごたえがあった。
なにより「降伏」のそれも、毅然とした態度で密林から出てくる時の、歌を歌うという
シーンには、戦場に架ける橋の「クワイ川マーチ」みたいな先人に対する映画人の愛情
を感じる。
「歩兵の本領」
教育という点で、劣化するのはやはり「情熱の矛先」が教育に向く人だったら、
教師になってもおかしくないが、変な思惑で「運動に没頭」する教師は要らない
と再認識させる側面を持った映画であった。
太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男- スタンダードエディション [DVD]/竹野内 豊,Sean McGowan,井上真央

¥3,675
Amazon.co.jp
といったところで、またのお越しを・・・。