テレビ・メディアがアイドル・グループの「営業的人気投票」を、狂騒的に伝えれば、
「大人気」のなんたらポップスと同じく、情報という宣伝に惑わされて、より認知度を
高めて「商売上手」が、裏でほくそ笑む姿が見え隠れ・・・。
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AKB48選抜総選挙の結果が発表されたきのう6日(2012年6月)は、オジサンたちが
集まる夜の飲み屋でもこの話題でもちきりだったが、NHKもよる9時からの定時ニュース
「ニュースウォッチ9」で伝えたことに、放送関係者の間では「ちょっとやり過ぎだろう」
「いや、それほどの社会現象ということだ」と、これまた賑やかな議論になっている。
「1位には大島優子さんが選ばれました。前回1位だった前田敦子さんがグループから
の脱退を表明したこともあって注目が集まりました」と伝えたが、大島の1位が発表され
たのは9時前後だったから、ほとんど「速報」の扱いである。
さらに、結果を伝えただけでなく、専門家の「世の中変えられないという閉塞感がある。
決定に関われるという体験が面白いという感覚を、AKBの総選挙で若い人は得ているの
でしょう」
という分析も加え、大越健介キャスターは「単なるファンから当事者ということですね」と
納得したような顔つきだった。
しかし、井上あさひキャスターはシラけていて、「私はいまひとつ乗り切れなかったです
ね」と、こんなことを定時ニュースで取り上げる必要があるのかといった感じの表情だった。
たしかに、井上が真っ当だと思えるが…。
http://www.j-cast.com/tv/2012/06/07134848.html
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商売上手は「投票券付き」のディスクを売りつけるという「ファン」を搾取の対象としてしか
見ていないらしい「行動様式」をみせ、そしてそれを後押しするテレビ・メディアのやり方に
違和感が生まれて、画像のような「大量購入」の実体からすれば、大人気と同じ構図で
一体人気のありかはどこかなのだが・・・。
そしてこのように打ち捨てられた画像を見てしまうと、「販売ツール」自体が勿体無い
無駄な資源浪費とも映ってくる。
そして圧倒的な宣伝というもので「人気を保つ」手法は、愚民化においての友好な手法
として権力者にとっては、そのツールとして「実験」的検証のものとしてもメディアの有効
利用に付込める「護送船団の狂騒」と見て取れば、寒気がする狂騒ともなるし、一方で
「あこぎな商売」に批判しないテレビ・メディアの存在が、より一層醜悪な存在を認識させ
る。何しろ一斉に「不正受給」でないと、表明してしまい告発者を批判するという「一方通
行」を見せられると、その昔の全体主義の警鐘としての小説が、先見の明を物語る。
で、原作者が亡くなった報に接して、こんな映画を思い出した次第。
http://www.youtube.com/watch?v=M9n98SXNGl8
「華氏451」 六十六年公開作
原作本の発刊は昭和二十九年だから、当時のテレビの脅威としての「洗脳」を見て取れ
ば全体主義の脅威のアイテムとしてのテレビは格好のものとなるから、そこから「はみ
出すものを取り締まる」という暗愚な行為に陥ると、こうなりますよという警鐘を映像化し
ていて、「活字離れ」の警鐘としての「テレビによる総白痴化」を言い出した評論家ともに、
先人達は近未来に対する「愚民化」は、文明の利器としての伝達手段が、一面便利と相
反して、思想的均一性も保持出来る存在として・・・。
物語はそのテレビによる意思統一に邪魔な本というコンセプトで、消防士という職業が禁
書取り締まり役として、その消防士を主役にして、自分で思考を促す「読書」を禁じるべく、
本の焼却に奔走する消防士が、ふとしたことで知り合う女性との交流を経て、疑問を持た
なかった自分の職責に疑問を抱き、そしてその触れ合う女性と自分の妻が瓜二つとなる
から、顔かたちは同じなのに、個性は全く逆で「テレビの指示」に従順な妻と、自分で何事
も考える女性との対比が絶妙で、主人公の変化が「個人の自由」の大切さと「活字」の情
操教育は個人の創造の源泉でもあるという側面も見せてくれる。
戦争からそれ程経過していない時代では、思想統一に欠かせぬアイテムとしてテレビを
危険視する空気があったを物語る好例の一つで、今の時代のテレビを鑑みれば、先見の
明はあったと思える空想化学映画の範疇に入るものである。
- 華氏451 [DVD]/オスカー・ウェルナー,ジュリー・クリスティ,シリル・キューザック
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といったところで、またのお越しを・・・。