どこかに「批判」しなけばならない「権力」があるとすれば、いって批判する。
古今東西、批判するだけの勢力として、つとに「第四の権力」と化しているマスコミの
言は、批判のための批判で、その実、その論方は支離滅裂で「読者は理解に苦しむ」
と、そんなマスコミの中で、つとに「滅裂度」が酷いのが以下のようなところだろう。
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「魏志倭人伝」には「男子は大小と無く、皆黥面(げいめん)文身す」とあるから、当時
の日本人の男は大人も子供も顔や体に入れ墨をしていたらしい。
水に潜って魚をとる海人が大魚の襲撃を防ぐまじないにしたのが、後に飾りとなったの
だという
▲ならば入れ墨のない者は当時の役所をクビになったのか??とは、むろん大阪市での
職員への入れ墨調査を聞いて頭をよぎった妄想である。
役所が職員の入れ墨の有無を一斉調査するというのもびっくりだが、「110人」という調
査結果にも驚いた向きが多かろう
▲そういえば最近タトゥーと呼ばれるファッション感覚の入れ墨を就職活動を機に消す
手術をする若者が多いという。
欧米の映画などをまねて気軽に入れたタトゥーも、いざ職探しとなれば入れ墨がアウト
ローのシンボルとされてきた日本社会の市民感覚に突きあたる
▲さて映画では片肌脱いで桜吹雪を見せる遠山の金さんこと町奉行、遠山景元には
本当に入れ墨があったか。
放蕩(ほうとう)ざんまいの若い頃に遊び仲間と腕に桜の入れ墨をしたと記すのは元幕
臣の漢学者、中根香亭だ。
旗本の子弟が「武家彫り」などという入れ墨をした時代だ
▲だが香亭によれば、幕府で昇進をとげてからは常に肌着をきつくまとい、夏も脱ぐこ
とがなかったという。
さて景元は「若気の至り」を後悔したのかどうか。ともあれこと奉行としては若い時の体
験ゆえに下情に通じたみごとな裁きをしたと香亭は絶賛を惜しまない
▲大阪市職員の入れ墨事情は人それぞれだろうし、何らかの措置が必要なケースも
あろう。
ただ未来の景元を失わぬようにするのも組織の「マネジメント」だ。
毎日新聞 2012年05月18日 00時16分
http://mainichi.jp/opinion/news/20120518k0000m070123000c.html
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公務員の「刺青」騒動に対しての「首長」のマネジメントに対して、その昔の「変な論法」
を駆使して、今日の価値観から逸脱していようがお構いなしで、「批判」に傾注して、
良識のある情人からすれば、「それがどうした」 稀な例を引っ張り出して擁護してしてし
まうのだが、自分のところに「刺青紋紋」がいれば、即座に解雇しているだろうに、他人
には「モラル・ハザート」であろうと、批判だけはしてしまう「その支離滅裂」さは、以下の
これはあの現在の「慰安婦」の「商売させろデモ」のものだが、これを見せられる現在
の人々は、「変な権利意識」に言動が支離滅裂と見てとるのではないだろうか。
常に「批判」を頭に描き、自分達の気に入らない事象には、噛み付いてみせるが、それ
がこと「自分達の悪行」には、だんまりを決め込む。
まぁ、「自分に甘く、他人に厳しい」のは、甘えの構造として昔から存在したのだから、
批判する者も、他者からはそれを批判されるでバランスを取れる社会となるのだが、
ここに「信仰という」頭で考えぬ集団が存在すれば、言動に違和感がないどころか、
それを支持したり、賛同したりと、そして批判を許さぬ差別意識が蔓延している自覚も
なしと、つける薬の存在もなく「唯我独尊」ぶりを発揮と・・・。
これを映画に当てはめると、数多く存在するカルト・ムービーというものがあり、その中
でも「メキシコの異能」が作ったものは、群を抜いてカルトであろう。
http://www.youtube.com/watch?v=V_k8oaeHsnc&feature=related
「ホーリー・マウンテン」 七十三年未公開作
聖なる山と錬金術師とかのキリスト的象徴が、いかにエロ・グロとして「畸形」であるか
を映像にしたためたかのような映像展開は、物語の繋がりもなくぶった切りしたもろもろ
の事象を繋げただけのものだから、「支離滅裂」ぶりがカルト的前衛として「人気」にな
るのだから、世の中は「世界事象としての戦争への厭戦ぶりと、それからの逃避」として、
「小さな核としてのコミニュティー」に価値を見出した時代だからこそ、こういった訳わか
らぬ現象も、肌で感じるという「フィーリングエイジ」には、受け入れられる。
特に残酷場面は極度に、それらが差別の助長でもお構いなしだし、第一自分の思うよう
に生きるには、サディストでエゴイストでなければ、生きていけぬ・・・。
まぁ、けったいさが映像化されたものは、理解不能だから「前衛芸術」として映画の中で
は、ある程度のカルトとして受け入れられる。
映像の虚構と理解して見ている分には、鮮烈過ぎる映像美ではある。
http://www.youtube.com/watch?v=gdxrstnZo4E&feature=related
「エル・トポ」 七十一年未公開作
こちらのある程度の成功があったればのこその次回作としての「ホーリー・マウンテン」
として捉えれば、こちらの「卑劣な行為と、小さきものへの哀憫」と根底には、それなりの
ものも見え隠れするが、制作当時の六十七年のウェスタンとなれば、マカロニが席巻だ
から、扮装はすべて黒尽くめのガンマンとして、そして村人が困っている村での悪党狩り
と、女の解放のための四人の異色のガンマン達のとの対決・・・。
これがガン・ファイトでなく、恐ろしく卑劣なだまし討ちでの「勝ち負け」とか、一過ぎ縄で行
かないヒーロー像を描いて、見ている人に嫌悪感も生じさせが、無念のうちに流れた月日
の後、復活してみればそこはフリークス達の洞窟とか、そして今度はそれらの解放に尽
力し、ただガンマンは「カルチャ・ショック」のありさまを、畸形への常人の対応の様を、差
別意識の下劣さとして「皆殺し」を描いて、それに対する復讐と、ガンマンの焼身自殺で
生き残った小さきものの成長したわが子の旅立ちでエンドマークとして、前半後半の辻褄
を辛うじて紡いで、奇天烈なウェスタンの体をなしている。
と、ここでも何のことはない物語のつながりのなさを乾いた映像でのみ繋げた前衛ぶりを
発揮している。
とまぁ、この両作品、兎に角訳判らぬ映像のそれだが、鮮烈で残酷の徹底振りが逆に
清々しい作り物としての「極限」を映像にしたためているから、映画としての醍醐味は
それなりにある。
ただ理解不能な難解な映画というものは、疲れる。
これと上の「変態記事」が同等でなく、映画と記事とでは「支離滅裂」ぶりでも、インパクト
の違いがあり、鼻でせせら笑える「変態記事」と、頭を悩ます「カルト映像」では、受け止め
方には相当な違いはある。
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