- 日本の労働教育者は、その昔の「聖職者」たらんとするのを拒否して、思想・信条の
自由を持って、民間では「職務放棄」と取られかねない生徒の門出をぶち壊すことに
対しての懺悔もなく、単に個人の思いを「大事な門出」にぶつけてしまう蛮行を繰り広
げているが、そこにあるべき「職業人」としての矜持は、微塵もなく思想・信条と心中
したくば、職場を去れば済むものを「甘えの構造」よろしく、そこに留まったまま以下の
ような戯言を喚いてしまう。
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「君が代起立斉唱の職務命令に3回違反したら分限免職」--。教育基本条例案の
修正案を 巡って8日開かれた大阪府と大阪市の統合本部会議で、処分の規定が
決まった。
卒業式シーズンは間近。がぜん現実味を帯びてきた「免職」に現場では波紋が広が
っており、自らの思想信条を守るため「卒業式には出られない」と思い詰める教員も
いる。
府教委は先月、君が代の起立斉唱を求める職務命令を初めて出した。すると、ある
府立高校では今月に入って「前もって不起立を宣言したら、卒業式で座席を指定さ
れるらしい」とささやかれるようになった。校長が職務命令違反の教職員を確認する
ためだという。
30年以上起立斉唱に反対し、不起立を繰り返してきたある府立高の男性教諭は
「露骨な思想弾圧。日の丸・君が代反対よりも、強制によって排外主義が助長され
ることの方が問題だ」と憤る。
卒業式で「何で立たへんの?」と生徒に問われるたび、歴史的な経緯や自分の思
いを語ってきた。指紋押なつを拒否する外国籍の生徒の苦しみに触れた経験もあ
る。若い教師が無意識に起立斉唱を受け入れることに怖さも感じる。
「クビになってもいいという同僚もいる。でも、自分を貫けば家族にも迷惑をかける。
面倒なことに巻き込まれて消耗するのも嫌だ」。だから、今年は卒業式の会場に入
らないつもりだ。
「公務員だからといって、生き方まで否定していいのか。生徒に多様性を教えてい
る教員が画一的に支配されようとしている」。教員を指導する立場の校長も戸惑い
を隠さない。ある府立高の校長は起立しない教員とじっくり向き合った結果、その
教員が起立するようになった経験を持つ。「『ルールだから』では何も解決しない。
条例が成立しても自分のやり方を変えるつもりはない」と話す。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120209k0000m040132000c.html
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職業選択の自由も、この日本には存在して誰でも「自主退社・辞職」は出来る
のだが、そこは「つぶしの利かない偏った頭脳」では、社会不適合の烙印を押され
かねないから、まっこと奇怪な論理でもって「自己保身」だけは懸命である。
思想・信条の前に、教育者としての矜持であるなら、門出の席での規律違反と
いう「社会の規範」を率先して示すべきなのが、「思想・信条」らよれば、他の迷惑
我関せずで、生徒への配慮は完璧に忘れているでは、まっさかさまな論理という
ほかない。
こんな教師に教鞭をとられた卒業生こそ、いい迷惑この上ないし、モラル・ハザード
を引き起こしているのが教師では、その教育方法も高が知れている。
で、今日は紀元節、今で言う「建国記念の日」であるが、さすがな日本で、祝日と
されながらマスコミも話題に触れようとはしない。
ここらに日本の歪んだそもそもがありそうたが、戦前の暮らしぶりやらを検証すると
今の世よりは、まともな社会がそこにあったのかいなと、思えてきてしまう。
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雲に聳(そび)ゆる高千穂の高根おろしに草も木も
なびきふしけん大御世(おおみよ)を
仰ぐ今日こそたのしけれ
二、
海原なせる埴安(はにやす)の
池のおもより猶(なお)ひろき
めぐみの波に浴(あ)みし世を
仰ぐ今日こそたのしけれ
三、
天つひつぎの高みくら
千代よろずよに動きなき
もとい定めしそのかみを
仰ぐ今日こそたのしけれ
四、
空にかがやく日のもとの
よろずの国にたぐいなき
国のみはしらたてし世を
仰ぐ今日こそたのしけれ
作詞:高崎 正風
作曲:伊沢 修二
著作権:消滅(詞・曲)
明治二十六年
官報三〇三七号付録
「祝日大祭日歌詞竝楽譜」
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紀元節の歌なんて知りもしなかったが、その昔は高らかなうたったもの
なのだろう。
敗戦後には、すべての物事の悪さは戦前の風潮にアリとばかり、マスコミが
吹聴しまくり、そして「洗脳」よろしく幼少期における教育でそれを補強すると
念の入った方式で、いつの間にか各家庭での「国旗掲揚」が姿を消した。
日本の場合は島国が幸いして、民族侵略も受けずまた根絶やしにされたことが
ないだけに「建国」の遡り方が、歴史書物からとなって、紀元節へと行き着くの
だが、それこそ「血でもって建国した」という、物騒な国も存在している。
いまだに紛争の火種として、その存在感を示している「イスラエル」がそれで
あるが、この国の建国は、結果的に災いの元となるのだから、いささか勝ち取った
という建国が、祝福のそれでないのは不幸なことだと・・・。
で、このイスラエル建国に邁進した人々を描いていたのが「栄光への脱出」という
映画であった。
http://www.youtube.com/watch?v=gmcjfCQMKfA&feature=related
「栄光への脱出」 六十一年公開作
旧約聖書のモーゼの「流浪の民」のための建国されたはずの国、イスラエルはその後
の侵略でパレスチナを追われてとか・・・。
そこまで遡らずに、ナチス・ドイツの迫害とかの犠牲者集団としてのユダヤの人々の国
としての建国までを追ったドラマなのだが、そこは一人のヒーローを登場させて、人々が
勝ち取った、いや血であがなう建国であったを詩情豊かに描けば、ドラマチックそのもの。
当時の大スクリーンばかりの七十ミリ・フィルムに躍動するポール・ニューマンが力いっ
ぱい演技して、キプロスの収容所にいたユダヤ人を船に乗せて・・・。
貨物船を船名を変えて、大量脱出させる・・・。
当時イギリス統治化のキプロス、パレスチナを目指すユダヤ人とアラブ人との軋轢に
手をこまねいて、結果的に世界の批判を浴びて、この船をパレスチナへと渡航させる。
ユダヤ人にとっては大歓迎だが、アラブの人々にとっては「疫病神」の登場となって来る。
映画の物語は主役のユダヤ魂を見せ付けて、ロマンありアクションありの三時間を
超える大作ではある。
ただ長い映画の常で、中だるみは否めないしそうなると眠くなるから、途中が抜け落ちる
なんてことになるもので、これと「アラビアのロレンス」とかでもあくびしながら鑑賞となって
いつしか寝ていた。だけに紐解いてみないと、物語が思い出せなかった。
ここで紐解くとは、活字による内容の確認のことである。
流石に幾年月すぎれば記憶なんてなくなる・・・。
まぁ、今般の情勢を鑑みれば、この待望の建国だったろうイスラエルだが、周辺国との
軋轢を考えれば、パレスチナ人との融合が出来ずじまいなのだから、火種の元製造に
当時の「国連」が承認したことになり、複雑である。
それでなくともユダヤ商法と揶揄される民族性は、いかがなものでしょう。
日本の場合、この建国に対して忌み嫌うのが「かの国」くらいなのは、幸いかはたまた。
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といったところで、またのお越しを・・・。