一刻も早く「燃え尽きろ」と、こっちは駄目な「世界が燃え尽きる日」 | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

何事もその時の「思いつき」の我等がリーダーは、その思い付きがどれほどのコストを

掛けているかには全く関心がなく、どこぞの助言があれば、そしてそれが「パフォーマ

ンス効果」を上げさえすれば、「閣内不一致」など些細なことと、経営のノウハウは正に

「皆無」の「能無し上司ほど、怖いものはない」を地で行って、それがますます自分と社

会を隔離させているを、実感出来ないのだから、さながら「崩壊させる放蕩息子」の実

体みたりである。

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原発再開巡り 閣内亀裂

菅首相は6日、原子力発電所の再稼働に向けた新たなルールを策定する考えを打ち

出した。
海江田経済産業相の働きかけによってすでに再稼働受け入れを表明した自治体もあ

る中で、唐突に再稼働の判断を先送りする姿勢に転じたものといえる。エネルギー政

策の根幹にかかわる重要な決断が一貫性なく示されたことに、政府内のみならず、

全国に戸惑いが広がった。

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「大震災が起きた後なのに、経産省の原子力安全・保安院が『安全だ』と言うからって、

そのまま再開というのは通らないだろう」
首相は5日、首相官邸に海江田経産相、細野原発相を呼び、九州電力玄海原子力発

電所など原発の再稼働問題への対応を協議した。首相はこの中で、全原発を対象に、

津波や地震への耐震性の限界を調べる「ストレステスト(耐性検査)」を導入するよう

指示した。
首相のこの発言や、唐突にも見える6日の「新ルール作成」指示の背景には、東京電

力福島第一原発事故以来の「経産省不信」があると指摘されている。
首相がこだわったのは、ストレステストに内閣府の原子力安全委員会を関与させるこ

とだ。経産省だけの判断で再稼働を決められないようにするためとされる。
実際、首相のブレーンらの間では、海江田氏が原発再稼働を要請したことについて、

「時期尚早だ」との声が漏れていた。首相周辺の一人は最近、首相に「海江田さんが

『原発が安全だ』と言っても、誰もそう受け止めませんよ」と助言した。
首相と海江田氏の立場の違いは、閣内不一致として表面化した。

(2011年7月7日09時21分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110707-OYT1T00212.htm
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人は使い捨て、何より自分が「映えればそれでいい」の個人主導が酷くなれば、自身

が所属する政党でも「嫌菅」が増殖してしまう。

まして「全身全霊」をもって、仕事という「混乱」を招いてさえ、空虚な「自己暗示」をひ

けらかせされたら、「いいから即座に燃え尽きろ」と国民の大部分が「感じて」しまう

だろう・・・。自分の言葉に酔って、他を顧みないのは「リーダー」とは呼べない。

テロリストと同じような論法が通じるでは、被災地もまた国民も「救いがない」


「燃え尽きる」までで思い出すのが、この言葉を発する御仁と同じで、全く緊迫感も

そして使命感も感じられずに、悲惨なはずの地球の「燃え尽き」にも、まったりとして

そしてあまりにも空想を茶化したとしか思えぬ展開に、スクリーンにダメダシが出来

てしまう「地球が燃え尽きる日」と同等の価値しかないリーダーには、明日はないだ

ろう・・・。



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http://www.youtube.com/watch?v=gjiOb8WZoEo&feature=related

「世界が燃え尽きる日」 七十七年公開作


出だしは「原爆」の爆発シーンをかき集めて「地球の危機」をさらりと宣伝して

近未来の出来事を「少人数」でもおかしくない設定にしておいて、時たま地球の

現状を危機的に見せ、少人数の人々はそれなのに「緊迫感」の欠けた会話を

繰り返して、そしてこの映画のセールスポイントの「変な未来車」を延々と撮り続

け「観客がイラツク」のを秘かに喜んでいるかの、低予算かといえばそうでもなく

また出ている俳優にしてもそれなりなのだから、どうにも分からぬ映画・・・。


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このヘンテコな「水陸両用車」の雄姿のみがやたら目立つのだが、異常に繁殖

した「巨大化サソリ」や「ゴキブリ」の登場とか、一応それなりの問題も起こるのだが

題名のそれと「あまりのチッチサ」に、腹が立ってくる・・・。

それは特撮の拙さも手伝ってだから、余計ではあるのだが「ゴキブリに食われる男」

とかでは、はぁ、無抵抗のチキンが・・・。

と、書いていて「どんどん意欲が削がれる」のだから、どんな映画かそして、これの

ラストがこれまた・・・。

年代が年代だからでなく、これはきっと「ランドマスター」とな名づけられた特殊車を

見せびらかしたい思いだけが、製作スタッフの「自己満足」のための、ようは「見て

貰いたい」のは、自分達の「自己満足」に金を払えって論法なのだろう・・・。

それでも「水戸黄門」ではないが、ちよっとの「センシーさ」のみを挿入して・・・。

それがドミニク・サンダって、映画をそれもアメリカくんだりまで来て・・・。


まぁ、世紀末的破滅と裏腹な空気を醸す出演人も、最後のハッピーエンドの馬鹿

馬鹿しさには「唖然」とさせられたのではと思える。


今の政権与党も「朝令暮改」のリーダーには、この映画と同じ感想が渦巻いて

いるのではないのか・・・。

早く首に縄を掛けろよ、国民は「見ていて辛いもの」はもう見たくない。



                        といったところで、またのお越しを・・・。