境遇の変遷を笑い飛ばせ「おかしな夫婦」 | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

日本のマスコミの程度の低さが如実に現れるのが、ネックとなりつつある自分達のと

反対意見が席巻し始めると、一個人を対象としてやんわりとそれでいて悪辣な文章に

したためて「それこそオチこぼれ」と貶して自己満足を得る文章をしたためてしまう「上

から目線」、そしてリードしている自負の醜悪な体がるそこに現れることである。

以下のような文章の悪辣さに、その記者の性根の悪さが垣間見える。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

■サイトの有名人

かき入れどきの土曜だというのに、店のシャッターは閉じていた。朝方までソファで

パソコンを操り、そのまま眠ってしまったのだという。
兵庫県の阪急沿線、駅前に続く通りの一角で、男性は小さな洗車店を営む。だが、

実際は休業状態。週1度、食料を買いに出かけるほかは、店舗2階の自室にこもっ

てインターネットに浸る。
自分のことを「僕」と呼び、眼鏡の奥で人が良さそうに笑う34歳には、ネットの世界に

もう一つの顔がある。「bureno(ブレノ)」。
動画サイトでは、ちょっとした有名人だ。
「スパイの子」「日本から出て行け」。画面の中で、日の丸や拡声機を手にした男たち

が、ののしり声をあげる。今年8月、右派団体の幹部らが威力業務妨害容疑で逮捕

された朝鮮学校前の街宣を、この男性が撮影した。
ドラマのように軽快な音楽をつけて編集した「作品」はネットに投稿され、累計で数十

万回もアクセスがあった。各地の街宣に同行し、投稿を繰り返していた男性は、団体

幹部とともに逮捕されたが、「関与が薄い」として不起訴になった。
「ブレノ」は、滑らかなカメラワークで「ぶれない」という意味を込めた登録名だ。自身

の活動を、海上保安官が「sengoku38」の名で尖閣沖の衝突映像を流出させた事

件とダブらせる。「日本はもっと怒っていい」
自分の居場所はどこだろうか。いつも探してきた。
小学生のとき両親が離婚した。父と母の家を行き来して育ち、小中だけで五つの学

校に通った。捨ててあるラジオやゲーム機を持ち帰り、自宅で一人、分解して遊んだ。
理系の専門学校を中退し、カプセルホテルのフロントなど職を転々とする。父が亡くな

り、遺産を元手に、車の塗装剤の販売を始めたが失敗。洗浄水を特別な濾過(ろか)

装置に通した現在の店も振るわない。「自分のこだわりは、世の中には分からない」
と強がる。
動画や書き込みを投稿する度に、引用、転載されていないかを確認する。取材の日

に男性が検索すると、以前投稿した写真が17カ所からリンクを張られていた。「ちょ

っと少ないなあ」
掲示板には、何百もの投稿が秒単位、分単位で届く。自分の発言に、ほかの人から

反応がある時、男性の胸は弾む。一瞬一瞬の反応でいい。認められている、と思える。
現実の社会で右派団体の撮影にのめり込んだのは、行く度に喜ばれ、必要とされた

からだった。だが、会のメンバーの多くは、彼を「ブレノさん」と呼び、逮捕されるまで

本名すら知らなかった。
事業のため、生活のために取り崩してきた父の遺産は間もなく底を突く。最近の夕食

は1キロ200円のソーメンを小分けして食べている。「愛国」にすがり、見ないようにし

ていた現実に目を向ける時期は、近づきつつある。
本当は何をしたいのか、と聞くと、拍子抜けするほど普通だった。
「中小企業でこの人がいると便利だなっていう人がいるでしょ。パソコンもサッと使えて、

ホームページもチラシもつくれる。本当は、そうやって役に立ちたいんです」
■自分を追い込む若者たち
(中略)
新興宗教に10年以上を捧げた36歳。ネットにのめりこむ34歳。彼らの素顔は、まじ

めで少し不器用な青年だった。そんな若者たちが、時に日常に背を向け、自分を追い

込む。
社会から認められない。社会とつながっていない。そんな不遇感を募らせるのは彼ら

だけではないだろう。顔を上げて、すぐ近くに目を向けてみれば、自分はひとりではな

い、と気付かせてくれる誰かがいるかもしれない。

ソース(朝日新聞) http://www.asahi.com/special/kozoku/TKY201012290338.html
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

人生の流転など「笑い飛ばせ」ば、何の悩みもないものである。

たかだか七十年かそこらの時間しか与えられていないのである。

それを「まさかな暗雲」として捉えて、それこそ病気へと追い込む悪意は、さすが「アサヒ

る」新聞社の真骨頂ではある。

こんなマスコミが存在すること自体、日本の不幸ではあるが「これで禄を食める」やからも

そこに自分が病気ではないかの「恐れ」を抱くから「思考性の違い」に牙をむくことになる。

呼んでいて「大笑い」してしまったものである。

何も事業の失敗が「それがどうした」と返答がくれば、大概は「いえ、何にもないです」と

なるはずだが、上から目線の「高給取り」は、「何様のつもり」なのだろう。


こんな文章を笑いながら、そういえば「ピッグ・チャンス」に小躍りして、夢を膨らませて

大都会を目指した夫婦の不運の一日を、これでもかと酷い目にあわせて笑わせてくれた

のが、「おかしな夫婦」という映画であった。



流浪の民の囁き



http://www.youtube.com/watch?v=iVlbUq7EDAo&feature=related

「おかしな夫婦」 七十年公開作


ニール・サイモンの脚本は、今でも通用しそうな笑いの原型を見せて、張り切る夫婦の

境遇の変遷のおかしな様子が、見ている人にとっては「笑いのつぼ」となって、大笑いを

誘ってくる。

勿論、遭遇する災難の数々の夫婦の対応がすべて裏目に出てくるから、まさかな展開

が次々に襲ってくることになり、出世のそれへの野望がいつしか失望に変わってくる。

そこで得られる教訓が、これまた笑わせながら見る人に納得させるから、笑いながら

泣く結果となって、見終わった後は「晴れ晴れ」とした気分になって来る。

そう哀しい野望と、それがかなわぬ夢となった時の人の対処の仕方に、「笑い飛ばせ」

という「人生なんて、シャンリキになってもなるようにしかならない」と諭させる。

そうすれば病気にもならないし、ましてノイローゼに悩まないものだ。

と、笑いの中に「夫婦」の可笑しさと、同時に「相棒」としての信頼感もより強固にする

悪運の連続と、見ている人に「こんな夫婦」もありと、愛おしいだめっぷりを見せてくれ

る。


翻って「アサヒる」マスコミの記事を見れば、変な笑いが沸き起こるのは、自分は高みの

見物な割りに「境遇に救いがない」文章になっていることである。

これが日本のマスコミなのだから、病気の人が増えるわけである。

そして書いている人は「無神経」だから、そんな感想など夢想だにしないで、教示的な

文章をしたためたと「自己満足」に浸っていたりして・・・。そちらの方がよっぽど「病気」

ではないのかと思うが・・・。



流浪の民の囁き


こうやって「笑いのセンス」をみせれば、「人生なんて何ぼのもの」と笑い飛ばせる

もの・・・。

正月から、今年の日本のマスコミの得体の知れぬ「醜悪な根性」を辛辣に批判していく

のが、こちらの「健康の秘訣」になるか・・・。



おかしな夫婦 [VHS]/ジャック・レモン,サンディ・デニス
¥15,572
Amazon.co.jp                 といったところで、またのお越しを・・・。