きな臭い中東、思い出される映画「渚にて」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

第二次大戦後、核においての研究が進み、米ソの対立構図がはっきりしだすと

核による脅威が取りざたされるようになり、このイギリス人原作の小説の近未来

での出来事に、読者は驚愕しやがてそれが映画化される。

それがこの「渚にて」であるが、今となってはいささか、色褪せすぎて時代に合う

こともないが、描かれる人々の「無常観」は、通じるものがある・・・。

だからか、リメイクもされている作品だ。



渚

http://jp.youtube.com/watch?v=9suIauSBWJg

「渚にて」 五十九年公開作


第三次世界大戦勃発、北半球は人類が死に絶え、唯一原子力潜水艦の

乗組員のみが、南半球オーストラリアにたどり着く・・・。

しかし放射能は、その地も安全でなく、また原潜の乗組員も疑心暗鬼で

微かなモールス信号を頼りに、アメリカへと向かう・・・。

モノクロ画面の映画は、監督がスタンリー・クレイマーだけあり、その押し

殺したような静けさの中に、全面核戦争の悲劇を切々と説いている。

そしてもっとも宗教的な証左は、「後悔、先に立たず」を各出演者に演じさ

せ、観客により一層の終末観を訴えているところで、それぞれが自分の

終わりについて静かに受け入れる・・・。

冷戦さなかの世情では、これ以上に騒がす映像になれば、相当な批判を

浴び、客の入りも少なくなると予想もできるから、製作にとっては地味目に

押さえ、そこにキリスト的懺悔を折り込むことで、観客のフラストレーション

の解消に向けたとも受け取れる。

そして滅びの美学として、運命を受け止め皆で唄を歌い、意識の統一を図

って、静かに滅びるべきと・・・。

こういった描き方も一方で、原作に忠実に描かれたと見るが、時代が変わり

冷戦構造が消え去ってみると、第三次世界大戦の危惧はピとこなくなって、

リメイクする側にとって、より現実に即した物語に変えていかないと、絵空事

の嘲笑になってしまう。



エンド

http://jp.youtube.com/watch?v=FrOyurbcHyI&feature=related

「エンド・オブ・ワールド」 二〇〇〇年公開作


こちらは上の「渚にて」のリメイクだが、設定は中台紛争が引き金でと、

時代に合わせているが、もとよりこの映画は、戦闘とか犠牲とかでない

心理的描写に主眼が置かれていて、上の映画よりも緊迫感は伝わってくる。

長さも丁寧に描ければ、長時間にならざる得ないが、「死の受け止め方」の

在り方には、ある程度のかっこ良さがいきがりに見えて、少しばかり「おい、おい」

格好つけるなよ」と突っ込みを入れたい気分も・・・。

ただこの原作者は、余りのストーリーの変更にお冠だったとか・・・。

それでも時代の流れが、原作者の脳内妄想を飛び越してしまえば、それは陳腐な

煽りなだけの小説となり、見向きもされない・・・。

こういった社会派の小説なりの宿命は、時を経ても色あせない文学の中では、価

値観の違いが、大切なものをなくして行く・・・。


で、この「渚にて」なのだが、今では紛争の火種はやはり中東となり、イスラエル、

イランの確執となりそうで、オイル・マネーの関係もあり、中台よりは緊迫感を増し

つつある。もっとも産油国にすれば価格の上昇は、利益と相成るから、世界的に

批判浴びる投機的思惑が、きな臭さにかき消される結果になってくる。

うがった見方をすれば、そう見えなくもないが、絶対に折れないイスラエルとなれば

それに加勢するのはアメリカとなり、「博士の異常な愛情」並の将軍でも現れれば、

ヒューマン・エラーが起こってもおかしくない・・・。

と、見事に旧式のイランのミサイル発射映像から、ちらっと考えてみた・・・。

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エンド・オブ・ザ・ワールド <VHS/字幕スーパー>
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