今はなくなったしまった国、ユーゴスラビアだが、ここを舞台にした第二次大戦
の映画には、とても印象的なものがあった。
それはもちろん子供がメインという、映画的には「泣き」がセオリーになるものだ
が、それにつけても、哀愁の音楽も手伝って、とても記憶に残る・・・。
六十五年公開作のこの映画は製作イタリア、舞台がユーゴというもので、
主人公は十七歳の女性と盲目の弟である。
もうこの戦争というものと幼い姉弟となれば、涙腺は緩むはずだ。
http://www.pon2.net/cittaj.htm
この映画のものはよーつべにも投稿されておらず、せめても旋律を知りたい人は
上のサイトにアクセスして、その哀愁たっぷりの旋律に触れれば、映画の物語が
相当に哀しい兄弟の物語なのを、ちらっと再確認するとは思う・・・。
にしても、主演の女の人、チャップリンの娘、ジュラルディンがなかなかにいい。
この前作は「ドクトル・ジバコ」だったが、顔の表情にどこか陰があり、こういった
役柄だと、より悲壮感が漂いラストの列車で、弟に嘘を教えながら涙を流す場面
には、ほろりとさせられてしまう・・・。
暗いタッチの映画に哀愁を帯びた旋律が、とても合っていて理不尽な戦争犠牲者
達の悲哀が映像からひしひしと感じられる。
またこの邦題も、少しくさいがなかなかに映画の内容を端的に伝えていて、昔の
宣伝マンは、いい仕事をしていた・・・。
それにしても盲目の弟に、何事もなく淡々と景色の素晴らしさを伝え、自分の目で
確かめるように促す、「生存」を諦めぬ励ましは、今現在の教育現場にとっても、
何よりの教材となるのではないのだろうか・・・。
こちらは七十年、大阪万博の映画祭において大評判になったものである。
これもユーゴが舞台で、子供達の物語である。
「残酷を描いて美しく、そしてその美しさは少年達の魂の怒りと勇気が、我々の
胸にも怒りと勇気を呼び覚ますからである。しかも聖なる絵のように、詩のように」
映画監督 木下恵介
と、古いパンフレットに書かれた一文だけで、この映画の良さが伝わる・・・。
幾らなんでも、そりゃ、ないだろうが、邦題の「抵抗の詩」の通りに、映像もユーゴ
の素朴な風景と相反する殺戮場面、そして悲しみと怒りに燃える子供達・・・。
詩だと思える。このパンフレットの表紙に描かれるドイツ兵と、その前に直立する子
供達は、差し出された靴磨きの指令に断固、拒否を貫くのだが・・・。
この構図もとても優れたもので、映画の内容が現れさている。
鉄条網・ドイツ兵・赤いけしの花と笑顔の幼い少年少女。
いい仕事をしているなぁ、と感心する。
物語は上の「悲しみは星影と共に」と似て、大人は収容所へ入れられ、子供達だけが
残った村に・・・、ここらで、あれっと「要塞」に似てってな感想も出るが、第二次大戦の
ユーゴのとなれば、後はパルチザンの抵抗しか残っていない。
反戦映画として、子供の心の描写として、とても優れた作品だが、ユーゴは今はなくな
った国であり、少し前まで内戦で、特にオリンピックのあった「サラエボ」の悲惨な状況
を見ていると、この映画の時の子供は国でなく民族に拠り所を見出していたのかに、な
ってしまってこの映画の感銘も、いささか色あせてしまう・・・。
ただ、この幼い抵抗とかが向いたのは、敵であるナチス・ドイツである。
その後、内戦になって憎しみの連鎖は続けども、この映画に関しては、いや当時も今も
敵はナチス・ドイツで統一されていて、間違っても歴史認識がごっちゃになることはない。
とまぁ、強調するのは、勿論日本の一部地区では、敵の姿がぼやけ、ユーゴみたいに
内乱でも起こしかねない思想を持ち込むやからが跋扈するからである。
その報道記事が下の物である。
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太平洋戦争で沖縄戦を現地で指揮した牛島満・第32軍司令官の孫にあたる
東京都内在住の小学校教諭牛島貞満さん(54)が5日、甲府市内で講演した。
教育関係者ら約20人が参加。集団自決をめぐり「軍の強制」の削除を求めた
教科書検定意見に改めて疑問を呈し、歴史の真実を伝えることの重要性を説いた。
牛島満氏は「最後まで敢闘し、悠久の大義に生くべし」と命令した。同氏が45年6月
22日か23日に自決したことで組織的抵抗が終結したとされ、毎年6月23日は
「沖縄慰霊の日」になっている。
貞満さんは浅川保・山梨平和ミュージアム理事長らの招きで、来県した。勤務先や
沖縄県内の小学校で取り組んでいる沖縄戦の授業を紹介した上で、
「本土の人こそ沖縄戦の真実を知り、伝えることが大切だ」と語った。
浅川さんら実行委は甲府市の県立男女共同参画推進センターで8月7日から
10日まで、沖縄戦や従軍慰安婦問題、靖国神社参拝問題などを写真パネルや
現存する当時の資料で広く伝える企画展を開く。
http://mytown.asahi.com/yamanashi/news.php?k_id=20000000807070001
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一生懸命、何を伝えたいのか、さっぱり分からない小学教師像には、ほとほと呆れる。
確かに「戦争の悲惨」は伝えていかなければならないが、一部地区だけが悲惨であった
ではなく、どこでも悲惨であったし、まして日本人の犠牲があちらは無駄死に、こちらは
軍の犠牲だったでは、なんとも精神錯乱に陥った思考に、上の二つの作品を見れば、
「戦争の悲惨」は二度と繰り返してはならないだけが、肝に銘じべき事柄であり、それ以
外、伝え継がれるものはないにも拘わらず・・・。
何しろ「抵抗の詩」を国を挙げて作ったユーゴスラビアは、内戦から各各国は独立し、
悲惨な争いは再び繰り返してしまったのである。
それとは余りにも違った日本の「平和」だが、それを利権にしている人々がいるとなると
いい加減「英霊」に対して、失礼すぎる。
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