シャロン・ストーンのたった一言が、もう凄い勢いで批判されているが、その様相はあたかも
全体主義における「人民裁判」にも似て、ついつい思い出すのは連続幼女殺害事件を扱った
相当に古いが、それが今でも通用するラングの「M」である。
http://www.youtube.com/watch?v=cIj3Bk0bhL8
「M」 三十一年公開作
七十六年前の映画が今でも通用する問題を提議している。
先ずは精神の病いと見られるかのような幼女殺害という異常犯罪者を扱っている点。
それも実際起こった事件をヒントにしているとなると、幼女に対する今の有害サイト等の
問題も、機器が発達したからというより、以前からその需要があったとなってくる。
そして犯人が叫ぶ「精神病なんだ、だから僕は無罪だ」の刑法の問題。
もう一つが、憤りを覚える人々と警察を煙たがる人達による「民衆裁判」と全員が一致して
「殺せ」の合唱のその空気の凄さ。
それが下のリンクした場面である。
http://www.youtube.com/watch?v=jUDUbxsNjV0&feature=related
「人民裁判」 犯人を民衆が裁判にかける場面
なんとも今でも充分に通用する演技で、この監督の先見性が見事である。
にしても、この犯人に対する民衆の空気は少しばかり恐怖を覚える。
まぁ、被害の当事者であれば、そして事件が幼女となれば、こちらも簡単に賛成しこの烏合
の衆に加わるかとは思える。
だが心のどこかに、これはただのリンチではないかの歯止めも存在する。
ところが、今起きている中国のシャロン・ストーンに対する態度には、どこをどう見たって「正論」
を吐いたシャロンを許さないの側面があり、認めたくないというエゴが垣間見える。
特に「チベット弾圧」に注意が言っていれば、この発言は容認されてしかるべきで、日本であ
ったなら発言は酷いが、一面自分達も迫害を加えていたと反省も沸き起こるであろう。
だからこそ、平衡感覚が優れていれば、エゴイストと化す特アの根拠の曖昧な出来事でも
謝罪をしてしまうという、愚行も行ってきた歴史がある。
にしても、この映画の時期はナチスドイツが台頭する時期に符合し、空気を監督は批判したく
て、この実話の事件をモチーフにしたものだろう。
だとすると、七十年前の空気とこの中国の蛮行を行なう空気は似ているとも取れるし、何より人
間の民度が七十年前と変わらないとなってくる。
これには戦慄を覚える。ことが何かあったら「右向け右」となれば、共産主義も軍国主義も言葉
が違うのみの同じイデオロギーとなってくる。
七十年前の映画から、今更ながらの精神異常の性倒錯者と民衆の狂気の熱気を見て取るとは
いささか・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=0Ffa3Qa4ah4
「メトロポリス」 二十九年公開作
こちらは無声映画だが、もう八十年前になるアイデアと、人工の創作物に熱中する
人間が現れてと、恐ろしく先を見据えている人間が存在したのに、驚嘆する。
共産主義が見直されるきっかけみたいに小林多喜二の「蟹工船」が売れているらしいが、
その悲惨さと共に、こういった映画も見ておくべきものであると思うなぁ・・・。
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- Amazon.co.jp といったところで、またのお越しを・・・。