いにしえの人が未来に見た食糧危機「巨大生物の島」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

巨大な生物とは、食料という観点から見れば人口増加に相当な供給量を

緩和させる魅力的なものという考えが成り立つ。

だからか、そういう視点で小説をしたためた作家もいる。

邦題が似ている違った作品で、その視点のものがあった。



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http://www.youtube.com/watch?v=DuSwwZ1n6KU

「巨大生物の島」 七十六年公開作

「タイムマシン」等のサイエンス・フィクション小説で有名なH・G・ウェールズ

原作のものを兎に角、巨大化するか縮小化するかが好きな監督、バード・i・ゴードン

が撮った作品。

こちらは地底から湧き出してきた謎の液体で、それを飲んだ生物はすべて巨大化

してしまうという着想の元、繁殖力の強いネズミが人間を襲うというパニックとして描い

ているものである。

原題を直訳すれば「神の食料」という、とても示唆に富んでいて空想科学という日本語

にすると、いにしえの人々は、想像力豊かで未来についての食糧危機をこんな方法で

解決出来る、あるいはそこに危機が迫ると、脳内妄想は凄いものがある。

のだが、それを映像化する人にとってその脳内妄想を金をかけずに描くには、ただ単純

に現在の生き物を大きく撮り、と特撮の醍醐味を笑いに変えてくれる凄い技術を披露して

いる。ネズミの脅威だが、編集によって縮尺が合わないという壷も外さず、演じている人は

くだぐたの演技を繰り広げている。

ただ映像には、いくらネズミとはいえ実際に撃ち殺している場面も、また水に溺れて無残な

姿を晒すという、現在の異常な動物愛護団体が見たら、卒倒してしまう映像も含まれと、

見ていて特撮ものが、お笑いものと違わないエスプリぶりに頭が下がる。

にしても、ラストの「神の食料」を飲んだ乳牛のミルクを飲み干す子供で終わる終わり方に、

拍手が出てくる。

大概のパニック映画のハッピーエンドより、余韻が・・・。

に、なる訳ない「鼻で笑う」で、それまでのぐだぐだが、そうさせてしまうものだ。

それにしても商売の巧い販売会社は、どこまで行ってもB級を、特A級に仕立て上げる。

それはそれで、見た人は笑い出して「騙された」の心の余裕を、あるいは笑わせて貰って

ありがとうの感想が出れば、万々歳か・・・。




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http://www.youtube.com/watch?v=rC-VgDPME9E

「SF巨大生物の島」 六十一年公開作

邦題が似ているだけでなく、こちらは未来の食糧危機をそれなりに危惧して

空想した結果という、とても示唆に富んだジュール・ベルヌの原作の映画化。

何しろ南北戦争当時の物語で、気球でたどり着いた謎の島はすべての生き物が

巨大なもので、現実にそくして倒せば、あるいはやっつければ食料として食する

という、当たり前の行為に及んでいる。

ここで今現在でも巨大な生物として鯨がいるが、この作品を書いた原作者だったら

捕鯨は当たり前という感想を示しそうである。時代背景を勘案すれば、何ともな世の

中になったと、思える視点である。

で、この映画、あのレイ・ハリーハウゼンのストップ・モーションアニメの特撮が堪能

出来るものでもある。

ネモ船長と「ノーチラス」号と、ワクワクものというとても夢も想像力を刺激する映画

である。


似通った設定と、邦題の映画二本だが、巨大な食料としての生物という視点は、

その時の豊かさの違いか、片や襲ってくる生物からの防御、片や一歩進んで、

狩りをしたらそれは即食料という、狩猟民族の思想が年代で違ってくるというなんとも

な内容へと発展する。

と、映画も違った視点でものを見ると、現在の巨大生物に対してのいにしえの人々と

違ったものとなるのは、食糧危機という漠然とした現実を悟らない「飽食の時代」が

見えてくる。 てなことも、考えて見ると面白いものである。




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