【映画評】淑女は何を忘れたか | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

どうも。何年も前から日本にも中国からの偵察気球が飛来していたにもかかわらず、それがどこから来たのか分からないという防衛省の情報収集・分析能力の無さが問題であり、それは防衛費増額してアメリカから年代物のミサイルを買っても解決しません。

 

それはさておき、映画の感想文を書きます。今回は『淑女は何を忘れたか』です。

 

恐妻家の大学教授の一家に、大阪からとびきり元気な姪が飛びこんできて、一騒動を巻き起こす(松竹・映画作品データベースより引用)。1937年公開作品。監督は小津安二郎で、出演は栗島すみ子、斎藤達雄、桑野通子、佐野周二、坂本武、飯田蝶子、上原謙。

 

小津安二郎が戦前に監督したコメディ映画です。37本目の監督作品なので、ローアングル撮影カメラ目線のワンショットなど小津流のテクニックが見えつつあります。

 

劇中では当時の東京生活が描かれています。婦人たちは活動的で、平然と喫煙しています。伝統的な日本女性は貞淑で家庭内にいるものだというネトウヨ的家族観は嘘だと分かります(本作はインテリな上流階級の話であり、かつ小津監督のアメリカ映画かぶれによるバイアスはかかっているでしょうけど)。

 

小宮(斎藤達雄)は妻の時子(栗島すみ子)に支配される恐妻家を装いながら、実のところ、逆に彼女をコントロールする「逆手」を使っていると言います。姪の節子(桑野通子)にはまだ理解できない大人のテクニックです。しかし、小宮が時子を戒めるために平手打ちをするのは、大人のすることではありません。

 

夫婦間の問題が解決した夜、時子は小宮にコーヒーを勧めます。小宮は眠れなくなると言いますが、時子は眠れると言います。時子が女中を先に休ませると、小宮はニヤリと微笑みます。この流れは仲直りした小宮夫婦が夜の営みをすることを暗示しています。

 

戦後、日本映画の性描写は徐々に解禁され、その自由を作り手も受け手も享受してきました。しかし、性描写に不自由だった戦前だから、本作のように粋な匂わせ演出が為されたと考えれば、自由には作り手を安直かつ怠惰にするデメリットがあると気付くのです。

 

★★★☆☆(2023年1月23日(月)インターネット配信動画で鑑賞)

 

 

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