石井隆さん死去 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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「天使のはらわた」などで知られる映画監督、劇画家の石井隆(いしい・たかし、本名石井秀紀=いしい・ひでき)さんが、がんのため5月22日午後7時53分に自宅で亡くなっていたことが分かった。75歳だった。9日に石井さんの製作プロダクションが発表した。葬儀は故人の意向で近親者のみで執り行い、しのぶ会の予定もない。関係者によると2、3年前から闘病し、昨夏から入退院を繰り返していた。病に関する具体的なことは、医師と2人だけの話として周囲にも伝えなかったという。

石井さんは子どもの頃から映画監督を志した。早大商学部の学生だった69年に映画「涙でいいの」の撮影現場でアルバイトながら監督助手を経験も、セットの土ぼこりで持病のぜんそくが悪化して映画の道を断念。直後に小学校時代の初恋の女性と結婚し、在学中から生活のために雑誌に文章、劇画を書いた。大卒3年後の77年に発表した「天使のはらわた」で一躍、人気劇画家の仲間入りを果たした。

「天使のはらわた」は翌78年に日活ロマンポルノの1作として映画化され、その後シリーズ化。石井さんは脚本家として79年の2作目の映画「-赤い教室」に参加し、88年には「-赤い眩暈」で念願の映画監督デビュー。竹中直人(66)を初主演に抜てきし、異業種監督の走りとなった。

91年の監督第2作「月下の蘭」でタッグを組んだ根津甚八さんとは盟友で、95年「GONIN」、96年の「GONIN 2」など8本の映画を作った。体調を崩し10年に引退した根津さんを熱意で口説き落とし、19年ぶりの続編となった15年「GONIN サーガ」に1作限りで復帰させたことも話題となった。

鮮烈な映像美と巧みな演出による、迫力と人間ドラマが融合された作風から“鬼才”の異名を持ち、クエンティン・タランティーノ監督からも熱烈に支持された。ただ、進めていた新企画も体調の悪化でかなわず、16年に亡くなった根津さん同様「-サーガ」が遺作となった。

◆石井隆(いしい・たかし)1946年(昭21)7月11日、仙台市生まれ。子供の頃から油彩画を描く映画少年で映画監督か画家を志望。主な作品は、竹中を再び主演に起用した93年「ヌードの夜」。団鬼六さんのSM小説を杉本彩主演で映画化した04年「花と蛇」は、公開前に主要週刊誌4紙がグラビア袋とじを展開など“ハナヘビ現象”を巻き起こし大ヒット。翌05年には続編「-2パリ/静子」も公開。近年では、13年「フィギュアなあなた」で佐々木心音、「甘い鞭」では壇蜜を主演に起用したことも話題に。「フィギュアなあなた」「GONIN サーガ」に出演した柄本佑ら若手、中堅俳優が出演を熱望するなど後進に多くの影響を与えた。

日刊スポーツより引用)

 

石井さんは漫画家から映画監督になった、いわゆる異業種監督です。しかし元々映画監督志望であり、映画で表現したいイメージを漫画で表現していたのでしょう。“漫画の神様”手塚治虫がディズニーのアニメ映画から影響を受けていたことから、漫画と映画の表現における近接性はあり、石井さんが漫画でも映画でも評価されていたことは、それを証明しています。

 

石井さんの作品には「名美と村木の物語」という共通点があります。堕ちていく名美と、それでも愛する村木という男女関係を作品に盛り込んでいるのです。役名やシチュエーションを変えながら、その関係を描き、人が人を愛することのどうしようもなさを表現してきました。

 

名美が堕ちていく様は残酷かつ過激でありながら、妖しい美しさを放ちます。その美しさには村木ならずとも魅了されます。こうした感覚を理解できず、石井さんの性描写や暴力描写を声高に糾弾しそうな人間が目立ちつつあるのが近年の風潮です。今となっては作られにくいであろう石井さんの映画を観直してみてはいかがでしょうか。

 

石井さんのご冥福をお祈りします。

 

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