丸山眞男の論文集『政治の世界 他十篇』(岩波文庫)を読みました。
丸山眞男は1914年に生まれ、1996年に没した政治学者です。没後20年以上経っているので既に過去の人扱いされ、その言説より今生きている新進気鋭の若手政治学者が発するコメントの方が世間にウケるでしょう。
しかし、本当に過去の人なのでしょうか。その言説の一部を引用してみましょう(148ページより引用)。
彼は職場で機械のベルトのように毎日きまりきった仕事に精根を尽き果し、ヘトヘトになって夜、家庭に帰ります。家庭だけが恐らく人間関係が機械化されないで保たれており、従って彼が「全体性」を恢復しうるまず唯一の場所でしょう。しかし現代人がそこに憩いうる時間というものはほんの僅かしかありません。彼はそこで朝起きたときと、夜遅く仕事を終えて帰ってから、新聞や雑誌類に目を通したり、ラジオをきいたりします。彼の政治や社会に対する考え方、見方は大部分この短い時間に得られた「知識」を基にして形成されるわけです。ここにまた問題があります。つまりそうした新聞・ラジオ・テレビといった報道手段は一方ではさりげない見出し・解説のうちに一定の傾斜をつけて読者や聴取者の思考・判断を一定の溝に流し込むと同時に、他方では政治的・社会的事件を興味本位に報道して大衆の関心を瑣末なもしくは私的な問題にそらせ、あるいは消費文化に興味を集中させるなど、いろいろの仕方で大衆の非政治化に拍車をかけています。マス・コミュの恐るべき役割は積極的に一つのイデオロギーを注入することよりも、むしろこうして大衆生活を受動化し、批判力を麻痺させる点にあるといえましょう。
この論文が発表されたのは1952年です。それから70年近く経っていますが、本質的内容は今でも通用します。
ブラックな長時間労働で疲れ果て、知識を得る時間がありますか?
ネットニュースの見出しだけで全て知った気になっていませんか?
総理大臣の趣味や好物は国政に影響しますか?
ネットショッピングで不要不急のものを買ってはいませんか?
こうして約70年前に提起された問題に対し、私たち日本社会が解決策を講じられないまま、また一つ年を越してしまうのです。
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