【映画評】至福のとき | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

どうも。フレッシュな代表を選べば「風」が吹いて選挙に勝てるなどという野党支持者が多くいる限り、政権交代は起こり得ません。「風」によって物事が一気に変わると考えるのは世間知らずの甘ったれです。選挙で勝利するのに必要なのは、国民の方を向いて地道な運動を日々継続することです。

 

それはさておき、映画の感想文を書きます。今回は『至福のとき』です。

 

中国の近代都市・大連。ある日、盲目の少女ウー・インの継母は、“至福旅館”の経営者を名乗る男チャオと見合いをした。実は彼は工場をリストラされた失業者。何とか見合いを成功させようと大見栄を張ってしまった。継母はウー・インを按摩師として働かせるよう願い出た。チャオは継母に冷遇されている彼女に同情し、廃工場に按摩室を急造する。彼は仲間に、旅館の客のフリをするなどの芝居を打ってもらい、ウー・インを稼がせる。そして、彼女も次第に生きる希望を取り戻していき、チャオとも親子のような間柄になっていくのだが…(Yahoo!映画より引用)。2002年日本公開作品。監督はチャン・イーモウで、出演はチャオ・ベンシャン、ドン・ジェ、フー・ピアオ、リー・シュエチェン、ニウ・ベン、ドン・リーファン。

 

初恋のきた道』などで知られる中国映画の巨匠チャン・イーモウ監督作品です。本作が撮影されたのは二十年前の大連であり、今となっては近代化・都市化が進んでいるでしょうから、歴史的な映像記録としての価値もあります。

 

盲目の少女ウー・イン役を演じるドン・ジェはダンサー出身なので、手足が長細いスレンダー体型です。この体型ゆえに、ウー・インは性の匂いがしない少女の雰囲気を出しています。もしウー・インに性の匂いがあると、チャオ(チャオ・ベンシャン)とその仲間たちの献身がロリコン的な意味を帯び、作品が台無しになるでしょう。オーディションでジェを選んだイーモウ監督は、『初恋のきた道』でチャン・ツィイーを選んだように少女役の目利きです。

 

失業者であるチャオはウー・インの継母と結婚したいがために金持ちの社長と嘘をつき、結局ウー・インの世話を押し付けられます。これは乞食紳士が盲目の娘のために奮闘する、チャーリー・チャップリンの『街の灯』に似ています。またウー・インに幸福な時間を過ごしてもらおうとして、チャオとその仲間たちが世話をするのはグリム童話『白雪姫と七人の小人』を思わせます。

 

これら二作品との共通点から思うに、本作は一種のファンタジーなのです。ノーベル文学賞作家モー・イェン原作のファンタジーなのです。ファンタジーであれば、チャオたちがウー・インを騙し通せられる御都合主義に納得できます。しかし、本作がファンタジーであることは、チャオたちの優しさ、その優しさによって生まれたウー・インの幸福な時間と生きる希望が現実に起こり得ないことを意味します。

 

本作は優しさも幸福も希望もない現実に絶望しながら、あるべき希望を映画という虚構の中で描いているのです。

 

★★★★☆(2021年10月22日(金)インターネット配信動画で鑑賞)

 

 

にほんブログ村 映画評論・レビューに参加しています(よろしければクリックを!)