千葉真一さん死去 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

俳優の千葉真一(ちば・しんいち)さんが19日午後5時26分、千葉・君津の病院で死去した。82歳。

関係者によると、7月末に新型コロナウイルスに感染。入院せず療養していたが、肺炎が悪化し、8月8日に入院。酸素吸入を続けていたが、回復に至らなかった。

千葉さんは東映ニューフェイス第6期で、59年東映入り。68年TBS「キイハンター」でアクション俳優の地位を確立した。

69年にジャパン・アクション・クラブ(JAC)設立、真田広之、志穂美悦子、堤真一らを輩出した。

91年「エイセス」でハリウッド進出。「Sonny Chiba」(サニー千葉)の名で世界的に名をはせた。03年の米映画「キル・ビル」にも出演した。

72年に女優野際陽子と結婚したが94年に離婚。96年に28歳年下一般女性と再婚したが、15年に離婚した。長女・真瀬樹里、長男・新田真剣佑、次男・眞栄田郷敦も俳優。176センチ。血液型O。

日刊スポーツより引用)

 

千葉さんのプロフィールには福岡県出身と記載されていますが、正確には「福岡県生まれ、千葉県育ち」です。福岡県で生まれ、幼少期に父親の仕事の関係で千葉県君津市に引っ越したからです。その後、隣市である木更津市の高校に進学しました。千葉さんは故郷を終の住処にしたのです(おそらく福岡県にいた頃の記憶がほとんどないにもかかわらず、福岡県出身俳優で固めたご当地映画『ちんちろまい』に出演したのは、千葉さんだから許されます)。

 

日本体育大学に進学した千葉さんは、器械体操でオリンピック出場を目指すも怪我で断念しました。そして、東映入りして役者の道を進むことにしました。元スポーツ選手という経歴により、千葉さんは爽やか青年のイメージで売り出されました(当時の出演作を観ても、千葉さんは爽やかではなく、むしろエネルギッシュで暑苦しいです。時代の価値観が異なることを実感できます)。

 

その千葉さんが役者としてのイメージを一変させる最大の転機になったのは『仁義なき戦い 広島死闘篇』です。下品で凶暴な戦後ヤクザの大友勝利役の怪演は、後世に語り継がれるほど強烈なインパクトを残しました。初監督作『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』から何度も組んできた深作欣二が千葉さんの真の実力を引き出したのかもしれません(しかし、千葉さんが当初引き受けたのは悲しみを背負ったヒットマンの山中正治役です。北大路欣也と配役を交換したのです)。

 

それから千葉さんは、東映がブルース・リーのカンフー映画人気に便乗して始めた格闘映画路線に軸足を移しました。クエンティン・タランティーノが敬愛するSonny Chibaは、この路線以後の千葉さんです。このタランティーノの敬意が『キル・ビル』の出演に結び付きました。格闘映画路線が始まる前からジャパン・アクション・クラブ(JAC)を設立し、アメリカ映画に劣らぬアクション映画作りを目指していた千葉さんの思いは(一部ではありますが)海外で評価されています。

 

千葉さんは何事においてもピントがズレているので、それを笑われることが多々あります。しかし、それが千葉さんの魅力であり、それどころか時代が千葉さんのピントに合わせてくることもあります(JACの先見性がそうです)。他人の目を気にすることなく、自己流を貫いても許されて愛されてきた千葉さんは、今や絶滅しつつあるスター俳優の一人でした。

 

千葉さんのご冥福をお祈りします。

 

にほんブログ村 映画ブログに参加しています(よろしければクリックを!)

イメージ 1