どうも。賢者はアメ(逸失利益補償)とムチ(休業要請)と使いこなします。愚者はムチ(休業要請に従わなければ店名公表)だけ振る、ケチなパワハラ馬鹿です。
それはさておき、映画の感想文を書きます。今回は『座頭市あばれ凧』です。
功名心に燃える旅のやくざの清六から鉄砲で撃たれた市は、命を救ってくれた恩人を探して甲州路へと足を踏み入れた。市の目指す鰍沢では、富士川を挟んで津向の文吉と安五郎が対立していた・・・(角川映画ホームページより引用)。1964年公開作品。監督は池広一夫で、出演は勝新太郎、久保菜穂子、五味龍太郎、渚まゆみ、中村豊、遠藤辰雄、香川良介、杉田康、左卜全。
勝新太郎が、盲目でありながら居合の達人である市を演じる人気時代劇シリーズ第7作です。流れ者の市が着いた町で二大勢力の対立に関わってしまうというストーリーは、時代劇や西部劇でよくあるパターンです。時代劇では黒澤明の『用心棒』が代表格です。
日頃の市は、とぼけたキャラクターです。道端の穴に落ちたり、山盛りの飯をかきこんで食べたりします。それなのに凶状持ちの人斬りとしての顔を時折見せます。このギャップが市の魅力の一つです。
終盤、恩人であるお国(久保菜穂子)がいる、文吉(香川良介)一家を騙し討ちした安五郎(遠藤辰雄)一家に殴り込む市。闇に紛れて手下どもを一人また一人と殺していきます。殺される側から見れば、ホラー映画のような状況です。
文吉が江戸から招いた、花火師九兵衛(左卜全)の花火が上がる中、市は安五郎一家を斬殺していきます。この祭り(生)と殺戮(死)の同時進行は、北野武の『座頭市』でも踏襲されています。
安五郎を斬った市の顔を花火が赤く照らします。しかし、盲目の市は美しい花火を見ることができません。この姿には、光ある世界に出ることなく、闇の世界で生きなければならない市の運命が表されているのです。
★★★☆☆(2021年1月1日(金)DVD鑑賞)
にほんブログ村 映画評論・レビューに参加しています(よろしければクリックを!)