ザ・ドリフターズのメンバーでタレントの志村けんさん(本名・志村康徳=しむら・やすのり)がコロナウイルスによる肺炎のため亡くなったことが30日、分かった。29日午後11時10分、都内の病院で死去した。70歳。死因は新型コロナウイルスによる肺炎。葬儀は親族のみで行う。今後親族と相談しながらお別れの会をとりおこなうか検討する。◆志村けん(しむら・けん)本名・志村康徳 1950年(昭25)2月20日、東京・東村山市生まれ。ザ・ドリフターズの付き人を経て、74年、正式メンバーに。TBS系「8時だヨ!全員集合」で「東村山音頭」のギャグでブレーク。加藤茶との「ひげダンス」、「カラスの勝手でしょ」「アイーン」など次々にギャグを生む。主なキャラクターは「バカ殿様」「変なおじさん」「ひとみばあさん」など。166センチ、血液型A(日刊スポーツより部分引用)。
日本全国に衝撃を与えた突然の死です。半世紀近くも多くの世代を笑わせ、愛されてきた日本を代表するコメディアンが亡くなったのですから。
志村さんはザ・ドリフターズ時代から人気者で、ソロ活動でも長らく人気を保ってきました(本来ドリフターズはバンドですから、「ピン」ではなく「ソロ」と呼ぶのが適当です)。1966年のザ・ビートルズ日本武道館公演でドリフターズが前座を務めたのは、それなりに知られていますが、その時の客席に若き志村さんがいたという話があります。本当ならば、運命的なものを感じます(若き志村さんはビートルズ目当てで行ったのであり、ドリフターズ目当てで行ったのではないでしょうけど)。
ドリフターズのリーダーいかりや長介は、志村さんのコメディアンとしての才能を高く評価していたと言われています。その志村さんが思ったより早く自分の場所に来たのを、いかりやはどう思うでしょうか。やはり「ダメだこりゃ!」と言ってしまうのでしょうか。
正直なところ、近年はソロ活動が落ち目になってきたことは否めません。本業であるコント番組のレギュラーがゴールデンタイムから深夜へ移り、特番が年に数回しかない状態でした。予算的に十分でない環境で、マンネリやワンパターンという批判を浴びながらも、志村さんはコントをやり続けました。その一途な姿勢は、後輩のお笑い芸人からリスペクトされるほどです。
今年の志村さんはNHK朝の連続テレビ小説『エール』に出演したり、山田洋次監督の映画『キネマの神様』に主演する予定だったりと、コメディアンより役者の顔を出していこうとしたようです。後年のいかりやと同じ路線を歩もうとしたのでしょうか。しかし、それは叶わぬ夢となりました。
志村さんの死に、やるせない思いを持つ人は少なくないでしょう。ただ、これだけは注意しておきたいです。新型コロナウィルスを、その感染者を、中国を口汚く罵っても、志村さんは帰らず、それは志村さんが望むことではありません。志村さんが人々に望み続けてきたのは、罵詈雑言を発する悪意で醜く歪んだ顔ではなく、一瞬でも世の中の悲しみや辛さを忘れている無邪気な笑顔なのですから。はっきり言って、志村さんの死を政治利用する人間はクズです。
志村さんのご冥福をお祈りします。
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