政府の自粛要請に反して、さいたまスーパーアリーナに6,500人の観客を集めたK-1の主催者が非難されています。その前日、JR仙台駅前に52,000人の聖火見物客が密集したのですが、主催者である宮城県に対する非難のヴォルテージはK-1主催者に対するそれより低いです。屋外であっても、長時間行列を作って密集していれば、新型コロナウィルスの感染リスクは高まります。ましてや観客数の桁が違い、潜在的な感染者がいる確率も上がります。聖火見物の方が非難されても不思議ではありません。
それにもかかわらず、聖火見物に対する非難が弱いのは政府が推している東京五輪への批判がタブー化しているからでしょう。政府やスポンサー企業に忖度して、マスコミが大きく取り上げませんからね。そうした利害関係に基づく理由ならばともかく、「聖火がコロナウィルスをぶっ飛ばすから平気!」などという頭の悪い非科学的オカルト発言が出たら、もう話になりません。幸いなことに、そんなバカをまだ見かけていません。
さて本題に入りましょう。それは「自粛要請」という言葉が変であることです。K-1に限らず、政府は大規模イベントの主催者に対し、イベント開催の自粛要請を出します。そして、その要請に応じた主催者は自粛してイベント開催を中止します。しかし、自粛という言葉の意味は、自分から進んで自分の行いを慎むことです。他人からの要請に応じた時点で、それは自分から進んだこと、すなわち自発性が否定されています。だから「自粛要請」という言葉遣いは矛盾しているのです。
それでも「自粛要請」という変な言葉を用いるのは、政府が責任逃れをするためです。本来ならば、政府は主催者にイベント開催中止の「命令」や「指示」を出し、それに応じたことによって生じた損失補償をするのが適当な流れです。命令や指示を出した政府には責任がありますから。しかし、責任を取りたくない、金を払いたくない政府は自粛要請を出し、主催者に忖度させることによって責任転嫁しているのです。
こんな政府は無責任です。しかし、その政府に権力を行使させ、税金を納め、忖度することを疑問に思わない国民も無責任の片棒を担いでいます。政府と国民による無責任体制で、日本は新型コロナウィルスと「戦争」しているのです。はっきり言って、75年前みたいに負けますよね。
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