
仏の教えを説くためにロンドンに渡ったが、いまや夢破れてスラムの商人に成り下がった中国人の若者。彼は近くに住むひとりの可憐な少女に恋心を抱くようになっていた。ボクサーである父の度重なる暴力に耐えかねて家を出たが、病で倒れた少女を若者は献身的に看病する。しかし、彼女は仲間の通報を受けた父に連れ戻され、折檻のあげくに死んでしまう……(Yahoo!映画より引用)。1922年日本公開作品。監督はD・W・グリフィスで、出演はリリアン・ギッシュ、リチャード・バーセルメス、ドナルド・クリスプ、アーサー・ハワード。
「映画の父」と呼ばれるD・W・グリフィスが、『國民の創生』や『イントレランス』の後に監督した白黒サイレント映画です。『イントレランス』がアメリカで興行的に失敗した影響から、本作は比較的小規模な作品になっています。
中国人青年役を白人のリチャード・バーセルメスが演じています。製作当時のアメリカにアジア系俳優が少なかったためでしょう。1956年製作の『王様と私』でも、シャム王役はユル・ブリンナーでしたからね。今本作をリメイクすれば、中国人青年役はアジア系俳優で決まりでしょう。
ところで、冒頭に青年の故郷である中国(当時は支那?)の街の様子が映ります。これが実際にロケ隊を現地派遣して撮影したのか、他の映画から拝借したのか、それともアメリカにある中国人街で撮影したのかが謎です。いずれにしても、歴史的価値のある映像であることに間違いありません。
15歳の少女役を演じたリリアン・ギッシュは当時20代半ばであり、グリフィス監督からの出演依頼に渋ったそうです。しかし、あの演技は彼女でなければ出来ず、並みの子役ならば無理だったでしょう。
少女は過酷な家庭環境で育ってきたので、いつも悲しげな表情を浮かべ、乱暴な父親(ドナルド・クリスプ)から笑うように強要されると、指で口角を押し上げて笑顔を作ります。この演技はギッシュからの発案で、あるシーンで物凄く効果を発揮します。
また、父親の暴力から逃れるため、クローゼットに入った少女に対し、父親が斧で扉を破壊するシーンにおいて、少女が見せる恐怖の表情が素晴らしいです。あれは、スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』におけるシェリー・デュヴァルの元ネタではないでしょうか。
これらの名演を見れば、何故グリフィス監督が実年齢との差があるにもかかわらず、ギッシュに出演依頼したのか納得できます。
それにしても、実の娘を虐待死させるクソバカ親というのは、古今東西にいるものです。本作が創作であっても、モデルとなる実際の事件がなければ、想像すらできなかったはずです。本作の父親は、中国人を口汚く罵倒しますが、こいつの方が身も心も汚い野蛮人だよ、馬鹿野郎!
本作において、青年と少女の恋は実を結ばず、絶望的な結末に至ります。グリフィス監督は映像的な美しさを追求しながら、この悲劇を詩情溢れるタッチで仕上げているのです。
★★★★☆(2019年5月10日(金)インターネット配信動画で鑑賞)
本作はユナイテッド・アーティスツ社の第1回配給作品です。