明治二十六年発行の『新撰小學讀本巻五』を紹介します。なお、読み易くするため、地の文は平仮名に統一し、文字化けを防ぐため、漢字は所々新字体に改めます。
第十二課 みだりに殺生すること勿れ。
清七と云ふ子供は、殺生を好みて、常に、鳥或は蟲等を殺して、なぐさみたり。父は、其無慈悲なることを戒めしも、なほ其くせ止まざりしが、年長ずるに及びて、銃獵を好み、ひまあれば、銃を持ちて野に出でたり。
或時、小き沼の中に、さもたのしげに泳げる、二羽のをしどりを見て、よきえものなりとよろこび、一ぱつどんと打ちしに、一羽は其場にたふれたり。
清七は、小舟にのり、取りて之を見るに、其首は、何れへか失せ居たり。故に其體のみを、たづさへかへれり。後再び其沼に行きしに、只一羽のをしどりを見出したり。故に、又之を狙ひて、見事に打ち止めたり。然るに此鳥のつばさの下に、前日打ちしをしどりの、首ありければ、清七は、其なさけあるをあはれみ、始めて無慈悲と云ふことを知り、父の戒めを、守るに至りたりとぞ。
【私なりの現代語訳】
清七という子供は、殺生を好んで、いつも、鳥や虫などを殺して、楽しんでいました。父親は、その無慈悲であることを教えても、それでもその癖を止めなかったのが、成長すると、銃猟を好んで、時間があれば、銃を持って野外に出ました。
ある時、小さい沼の中に、いかにも楽しそうに泳いでいる、二羽のおしどりを見て、良い獲物だと喜び、一発ドンと銃を撃つと、一羽はその場に倒れました。
清七は、小舟に乗り、獲物を取って見ると、その首は、どこかに無くなっていました。それでその体だけを持ち帰りました。後に再びその沼に行くと、一羽だけのおしどりを見つけました。それで、またこれを狙って、見事に仕留めました。するとこの鳥の翼の下に、前日撃ったおしどりの、首があったので、清七は、その情があるのを憐れみ、初めて無慈悲ということを理解し、父親の教えを、守るようになったのです。
【私の一言】
どれほど成長して外見が大人になっても、命の価値を理解していなければ、中身は幼稚なガキです。それにしても、殺された相方の首を大事に持っているおしどりを、人間同士のカップルに置き換えたら、猟奇的な話になりますね。
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