
天使と悪魔は、偉大なる科学者であり医学者であるファウストの魂を汚すことができるかどうかで賭けをした。それによってファウストの人生は翻弄される。1928年日本公開作品。監督はF・W・ムルナウで、出演はヨースタ・エックマン、エミール・ヤニングス、ウィルヘルム・ディターレ、カルミラ・ホルン。
ドイツの文豪ゲーテの戯曲を原作に、『吸血鬼ノスフェラトゥ』のF・W・ムルナウが監督して映画化しました。正確には、ゲーテの戯曲を基にしたルードヴィッヒ・ベルケルの脚本『失われし楽園』を、ハンス・カイザーが脚色したストーリーなので、原作とは離れている部分もあります。
天使と悪魔が地上の所有権を賭けて、ファウストに試練を与えます。イソップ寓話『北風と太陽』における旅人のようなポジションに置かれたファウストは、いい迷惑です。
天使と悪魔が登場するスケールの大きな話なので、当時の特撮技術が使われています。現在のVFX技術に比べれば、リアルさの点で見劣りします。その分、絵画やアニメに近く、芸術性が高いような印象を受けます(例えば、昔は背景を手描きしていましたが、今はCG合成することが多く、後者より前者の方にアートっぽさを感じるということです)。
更に天使と悪魔がいるファンタジーな世界観であることは、ムルナウ監督の表現主義的演出と相性が良いのです。表現主義的演出とは、登場人物の主観を視覚的に映像化することです。例えば、漫画やアニメで登場人物が絶望した時、背景が真っ暗になるのも、その一種と言えます。真っ暗になっているのは登場人物の脳内世界だけで、外界が一瞬で暗闇になることはありません。しかし、登場人物の絶望感を表現するためには、その技法が効果的です。厳格にリアルさを追求しない本作において、表現主義的演出は芸術性を高める作用があるのです。
さて、悪魔から試練を与えられ、メフィストから誘惑を受けて取引してしまうファウストは、望みが叶う反面、暗黒面へ転がっていきます。悪質な霊感商法にハマっている人のようでもあります。どんどん暗黒面に陥っていくファウストですが、何とか残っていた善の心によって打ち勝ちます。
本作に天使は登場しますが、ファウストに加勢することはありません。常に悪魔やメフィストが攻め、ファウストが受けるという構図になっています。これは人間の中での善悪の対立がテーマで、その「悪」を悪魔やメフィストに擬人化したと解することができます。すなわち、そもそも本作は表現主義的なのです
★★★☆☆(2019年4月5日(金)インターネット配信動画で鑑賞)
ムルナウ監督は本作を最後にドイツからアメリカに活動拠点を移します。