北尾光司さん死去 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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北尾光司さん 早すぎる死 元横綱・双羽黒

 
元横綱・双羽黒の北尾光司さんが亡くなっていたことがわかった。
 
波乱に満ちた55年の人生に別れを告げた。
 
大相撲第60代横綱・双羽黒、本名、北尾光司さん。
 
210日午前730分、慢性腎不全のため、亡くなったことがわかった。
 
腎臓を患い、闘病生活を送っていたが、55歳の若さで旅立った。
 
一言で言えば、波乱の人生だった。
 
一部転載元:FNN PRIME
 
転載元の記事には、北尾さんの波乱の人生が書かれています。1979年に15歳で初土俵、1986年に優勝経験無くして22歳の若さで横綱に昇進します。将来性を期待されたからです。しかし、1987年の12月、立浪親方と喧嘩して部屋を脱走し、その際におかみさんを暴行するという不祥事をやらかし、廃業しました。北尾さんの不祥事以来、横綱審議委員会は慎重になり、大関としての連続優勝(またはそれに準ずる成績)を横綱昇進の条件にしました。
 
ちなみに徳光康之の名作漫画『最狂超プロレスファン列伝』には、北尾ファンの上山決太(かみさん・けった)なるキャラクターが登場し、北尾さんと親方が揉めた理由を「部屋のチャンコが不味かったから」と結論付けています。しかし、本当は親方の指導方針に対して抗議したという説もあり、真相は闇の中です。
 
廃業後の北尾さんは「スポーツ冒険家」なる謎の肩書を名乗った1年後、新日本プロレスでデビューしました。試合には勝ちましたが、試合巧者であるクラッシャー・バンバン・ビガロ相手にしょっぱい試合となり、ファンの評価は今一つでした。その後、巡業中に現場責任者の長州力と口論になり、「朝鮮人野郎」と暴言を吐いて新日を追放されます。それから、天龍源一郎がいるSWS入りするも、対戦したジョン・テンタ相手に「八百長野郎」と発言し、SWSも追放されました。
 
その後、北尾さんは「空拳道」なる謎の団体に所属する格闘家となり、滝に打たれて精神修養し、高田延彦率いるUWFインターナショナルに参戦しました。初戦の山崎一夫に圧勝したものの、高田戦でハイキックKO負けしてしまいました。その巨体と素質ゆえに最強説があった北尾幻想は、この敗戦で打ち砕かれました。
 
北尾さんは「北尾道場」を旗揚げし、天龍が率いるWARに参戦したり、総合格闘技に挑戦したりしました。総合格闘技は負け続きでしたが、「PRIDE.1」のネイサン・ジョーンズ戦で初勝利を上げました。同大会のメインは高田対ヒクソン・グレイシーで、この試合で高田が敗れたことにより、プロレス幻想が大きく揺らいだというのは、不思議な運命を感じます。
 
北尾さんは1998年に格闘家を引退し、2003年に代替わりした立浪部屋のアドバイザーに就任しました。廃業しているので相撲協会所属ではありません。しかし、同じく廃業した横綱である輪島大士が、デーモン閣下と共にNHK大相撲中継の解説を務めたことがあったように、北尾さんも解説席に座ることができたかもしれません(北尾さんのプロレス時代の入場テーマ曲「超闘王のテーマ」はデーモン閣下の作曲です)。しかし、それは叶うことなく、北尾さんは亡くなりました。
 
こうして北尾さんの人生を振り返ってみると、相撲時代の異名である「新人類」がピッタリの生き様です。相撲界のルールを破り、横審に新しいルールを作らせました。「スポーツ冒険家」という新しい職業を作り出しました。長州への暴言は早過ぎたヘイトスピーチです。「八百長発言」はミスター高橋の暴露本より早いです。総合格闘技への参戦もブームになる前です。正に早過ぎた男なのです。
 
早過ぎた男の早過ぎる死です。北尾さんのご冥福をお祈りします。
 
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