
1964年に開催された第18回オリンピック東京大会のメモリアル・フィルムとして製作された長編記録映画。1965年公開作品。総監督は市川崑。
戦後の復興を示すため、日本の威信を懸けて開催された国家的規模の一大イベントを記録するという、映画監督としては名誉でありながら、重圧も尋常ではない大仕事を引き受けたのが市川崑です。
市川は「総監督」という立場で561人のスタッフを指揮して、この大仕事を成し遂げました。この「総監督」という呼び名と多数のスタッフ参加は、庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』と共通しています。『新世紀エヴァンゲリオン』で『犬神家の一族』のオープニング・タイトル(明朝体)を真似ていることから、庵野は市川を尊敬していると分かります。庵野にとって『シン・ゴジラ』を作ることは、本作並みの大仕事だったのでしょう。
公開後、大ヒットして興行的に成功する一方、本作は「記録か芸術か」という議論を巻き起こしました(公開後に賛否両論があったのは『シン・ゴジラ』も同じです)。本作は競技の勝敗結果より、競技者の表情や競技前後の様子などに重点を置いているが故に起こった議論です。
根っからの文化系である市川が体育会系の論理を理解できるはずがなく、競技者たちを「人間」として観察するアプローチを取ったのが本作です。市川の作風を理解していれば、事前に見えていた結果です。オリンピック東京大会組織委員会は、単に市川が海外の映画祭で評価されているという実績だけでオファーしたのでしょう。
面白いことに、当時は否定的な意見もあった市川のアプローチが、現在のスポーツ報道では主流になっています。今は勝敗結果より選手のキャラクターやプライベートを掘り下げることに紙(誌)面や放送時間が割かれています。勝敗結果は知られてしまった時点から急速に風化が始まるのに対し、選手の人間性はある程度持続し、掘り下げることによって新しいドラマが生まれるという利点があるからです。
私は本作を大館市民文化会館での上映会にて鑑賞しました。上映中、大会の花形である男子マラソンで円谷幸吉選手が3位でゴールした時、何と観客の中から自然発生的に拍手が起きました。勝敗結果より「人間」に注目した市川のアプローチが、半世紀以上もの時を超えた感動を呼んだということです。
★★★☆☆(2019年2月23日(土)秋田県・大館市民文化会館で鑑賞)