明治二十年発行の『普通讀本四編上』を紹介します。なお、読み易くするため、地の文は平仮名に統一し、文字化けを防ぐため、漢字は所々新字体に改めます。
第二十八課 前課の續
既にして兩國和を講し、戰止むに及で、兵士は數日の暇を其将校に乞ひけれども、許されず。蹉跎前約に背かんことを恐れ、遂に意を決して營舎を脱し、覊旅を重ね、遠く山河を超えて、プレーギューに至り、具さに其状を告げ、書を出して之を家人に渡ししかば、家人は唯良人の死を哀み、且つは兵士の義を感じ、涙に咽ぶの外なかりしとぞ。斯くて兵士は直ちに歸國し、脱營の罪を自首しけるに、将軍乃ち之を軍法に照して、砲刑に處せしむ。兵士は固より期する所なれば、刑に臨むも自若として神色變ぜず、刑卒の頓て砲を把り、機を放たんとするに當り、兵士は徐かに呼で曰く、我が此刑に就くは、固と言を履み義を全うせんが爲めなり、一身の爲めには哀むべきも、郷國の爲めには賀すべきにあらずやと、終に弾丸連射の下に絶命せり。誠に比あるまじき信義なり。
【私なりの現代語訳】
既に(ハンガリーとオーストリアの)両国は講和し、戦闘が終息するに及んで、兵士は数日の休暇をその将校に願ったけれども、許されませんでした。ぐずぐずして(士官との)約束に背くことを恐れ、遂に決意して営舎を脱走し、旅を重ね、遠く山河を越えて、プレーギューに到着し、具体的に事情を告げ、(士官から託された)封書を出して家人に渡したならば、家人はただ夫の死を哀悼し、かつ兵士の義理堅さに感じ、泣き咽ぶ他ありませんでした。こうして兵士は直ちに帰国し、脱営の罪を自首したら、将軍はすぐに軍法に照らして、銃殺刑に処しました。兵士は元より覚悟していたことなので、刑に臨んでも落ち着いて顔色を変えず、処刑人が正に銃を手に取り、発射しようとするに当たり、兵士はおもむろに声を上げて「私が処刑されるのは、あくまでも約束を履行し義理を全うしようとしたためであり、私一人のためには哀れむべきでも、国のためには祝うべきことではないか」と言い、終いに弾丸を連射されて絶命しました。本当に比べるものがない信義です。
【私の一言】
明治時代における富国強兵の「強兵」に当たる、軍人とはかくあるべきを説いた話の後編です。軍人には人一倍高い品位が求められました。ただゲーム感覚で人殺しをすればいいのが軍人だと思っていたら、そいつは大馬鹿野郎です。
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