
昭和十一年の二・二六事件によって施行された戒厳令を背景に、陰の指導者として処刑された北一輝の独創的な思想と人間を描く(映画.comより引用)。1973年公開作品。監督は吉田喜重で、出演は三国連太郎、松村康世、三宅康夫、倉野章子、菅野忠彦、飯沼慧、内藤武敏、辻萬長、八木昌子。
独立プロ「現代映画社」とATGの制作による低予算映画なので、全編モノクロです。低予算なので、セットを建てずにロケ撮影しています。そうした作りが、クーデターの思想的指導者の話という観念的な内容に合っている感じはします。
北一輝役を演じるのは三国連太郎です。銃殺刑に処される前、前髪を下ろした顔は佐藤浩市に激似です(当たり前)。
吉田喜重監督は構図に執着し、特異な構図で物語を展開していきます。一人だけの出演者を画面の隅っこに配置したり、出演者より手前に静物を配置したりします。こうした構図は、登場人物の心理を描写したり、画面に奥行きを持たせて三次元的に見せたりする効果があります。
吉田監督は松竹育ちで、大島渚、篠田正浩と既存の映画に対して挑戦的な作品を作り、「松竹ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれました。松竹退社後の吉田監督は、独立プロ「現代映画社」を設立し、本作のように尖った作品を作ってきました。その尖りの一つが、本作のような構図への執着です。ところが不思議なもので、松竹の巨匠である小津安二郎もまた構図については狂気じみた執着がありました(伊藤弘了『2018年に名監督・小津安二郎の“狂気”がバズった理由』を参考)。吉田監督は松竹イズムに反発するようでありながら、無意識的に松竹イズムの一部を先鋭化する試みを行っていたという見方もできます。
吉田監督の構図への執着は、前述のように実践的な効果を狙ったものだけでなく、意味を探り出すのに難解なものもあります。もしかしたら物語より構図を重視していたのかもしれません。そうだとすれば、通常の映画作りにおける「物語(シナリオ)→構図」という関係が逆転しており、クーデターの映画である本作にふさわしいスタイルであることになります。本当のところは、どうなのでしょうね。
★★☆☆☆(2018年11月30日(金)DVD鑑賞)
出演していませんが、製作に吉田監督の妻、岡田茉莉子が加わっています。