明治二十年発行の『普通讀本四編上』を紹介します。なお、読み易くするため、地の文は平仮名に統一し、文字化けを防ぐため、漢字は所々新字体に改めます。
第二十七課 兵士の信義。
昔歐羅巴にて、ハンガリー國とオーストリア國と、兵を交へたることあり。時にハンガリーの兵士、オーストリアの一士官に遭ふて格闘し、遂に銃剱を揮て其士官を斃したり。然るに兵士は、頓に惻隠の心を萌し、倒れたる士官を抱き起し、懇にいたはりて曰く、戰闘は私事にあらず、死生固に是非もなきことなり、唯言ひ遺さんと欲することあらば、吾に告げよ、吾誓て君の情願を果さんと慰めたれば、士官は首を擧げて曰く、君の義氣に感じ、聊か懇願する一事を托し申さん、吾が嚢中に一封の書あり、これを吾が家に傳へざれば、一家皆餓死すべし、吾が家はボヘミア州の一地なる、プレーギューにあり、君幸に之を家人に傳ふることを諾せば、余死すとも復た憾むる所なしと、終に兵士の一諾を聞て、眠むるが如く瞑目せり。兵士は涙を拭ひ、屍を歛め、其嚢中より封書を取出して、己の陣中に歸れり。
【私なりの現代語訳】
昔ヨーロッパで、ハンガリーとオーストリアが交戦状態にありました。時にハンガリーの兵士が、オーストリアの一士官に遭遇して格闘し、遂に銃剣を振るってその士官を倒しました。すると兵士は、急に同情心を発し、倒れている士官を抱き起し、手厚く労って、「戦闘は私事ではなく、生死は元よりやむを得ないことです。ただ言い遺したいことがあれば、私に告げなさい。私は誓って君の願いを果たしましょう」と言って慰めたら、士官は首を上げて、「君の心意気に感じ、いささかお願い事を托しましょう。私の袋の中に封書があり、これを我が家に伝達しなければ、一家全員が餓死するでしょう。我が家はボヘミア州の一地域であるプレーギューにあり、君がどうかこれを家人に伝達することを承諾すれば、私は死んでもまた心残りに思うところはありません」と言い、終いに兵士が承諾するのを聞いて、眠るように目を閉じました。兵士は涙を拭い、遺体を葬り、その袋の中から封書を取り出して、自分の陣地へ帰りました。
【私の一言】
明治時代における富国強兵の「強兵」に当たる、軍人とはかくあるべきを教えたのでしょう。これは前編であり、後編があります。
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