信仰と科学 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

約1ヶ月前、BSテレ東の『出発!ローカル線 聞きこみ発見旅』を観ていると、JR五能線の東八森駅から近い名所として、山本合名会社の酒蔵が紹介されていました。旅人(榊原郁恵と金子貴俊)が酒蔵を見学するシーンで、酒蔵内部に洋楽(確かノラ・ジョーンズの曲)が流れていました。旅人は、おそらく酵母に良い音楽を聴かせることによって、より美味しい酒を作る酵母にする効果を狙っているのではと思って、案内している社長に何故音楽を流しているのかを尋ねたところ、社長の答えは「私が好きな曲だから」でした。酵母への作用ではなく、単に社長が快適に仕事できるからという気持ちの問題だったのです。
 
よく動植物の生育(成育)過程で、クラシック音楽を聴かせると育ちが良くなるという話を聞きます。しかし、そういった話も単に働き手の人間が精神的に安定して、作業効率が良くなるという気持ちの問題にすぎないでしょう。人間にとっては快いクラシック音楽でも、動植物にとっては不快なノイズでしかないこともあり得ます。人間が勝手に動植物を擬人化し、自分の趣味を押し付けているとしたら、それは自己中心的な傲慢です。
 
そうして育てた動植物を食品加工し、「クラシック音楽を聴かせて育てた○○」という宣伝文句で売るのは問題ありません。それは、買う側がその宣伝文句から「クラシック音楽を聴かせて育てた○○は美味しいに違いない」と信用すれば、買う側の自己責任になるからです。それも買う側の気持ちの問題です。ところが、この気持ち=信仰という主観的な問題を、まるで客観的な科学の問題であるかのように偽装する連中がいるから困るのです(新興宗教では、アメリカにサイエントロジーが、日本に幸福の科学があります。これらも信者集めのため、信仰を科学で偽装する連中です)。信仰と科学は厳密に区別すべきものであり、それを糞も味噌も一緒にするのは知の退廃と呼ぶべき愚行です。
 
特に問題視すべきは、「水からの伝言」の件です。水からの伝言とは、「水を結晶させた氷の形状からメッセージを読み取ることができる」という旨の主張が展開された書籍のタイトルであり、これはたとえば、「水にありがとうや平和などの「よい言葉」をかけると結晶は美しい形となり、バカや戦争などの「悪い言葉」をかけると結晶も醜い形となる」 という意味です(引用元:疑似科学とされるものの科学性評定サイト)。こんなトンデモ科学は、頭の弱い大人が信仰する程度であれば、大した問題ではありません。しかし、義務教育における道徳の授業で、きれいな言葉遣いを指導するための教材として用いられ、科学的に検証された事実扱いされているとなれば、日本の未来にとって憂うべき問題になります。まして安倍昭恵首相夫人が、こうしたスピリチュアルな事物を好み、一私人にもかかわらず行政にも強い影響力を行使するとなれば、まともな大人は知の退廃を止めるよう行動すべきでしょう。
 
にほんブログ村に参加しています(よろしければクリックを!)