【映画評】フランケンシュタインの逆襲 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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フランケンシュタイン男爵は学問を修めるうち、生命の神秘にうたれ、自らの手で人造人間を造り出そうとする。だが完成した人造人間は、殺人を繰り返す狂った怪物だった……(Yahoo!映画より引用)。1957年日本公開作品。監督はテレンス・フィッシャーで、出演はピーター・カッシング、ヘイゼル・コート、ロバート・アークコート、クリストファー・リー。
 
多くの怪奇映画を世に送り出した、イギリスのハマー・フィルム・プロダクションの怪奇映画第1作にして、世界初のカラー版フランケンシュタイン物です。本作における監督がテレンス・フィッシャー、博士役がピーター・カッシング、怪物役がクリストファー・リーという組み合わせは、翌年公開の『吸血鬼ドラキュラ』に引き継がれました。同作は世界初のカラー版ドラキュラ物です。
 
リーが演じる人造人間のデザインは、アメリカのユニヴァーサル映画『フランケンシュタイン』でボリス・カーロフが演じた、人造人間の有名なデザインとは異なり、普通の人間に近いです。メアリー・シェリーの原作小説では、人造人間の描写において特に奇抜なビジュアルを定めておらず、本作のデザインの方が原作に近いと言えます。但し、原作に忠実であれば良いというものではなく、後世に強烈な印象を残し続けているのは、ユニヴァーサル版のデザインです。
 
原作の人造人間は高度な知能を有し、知識を吸収していきます。その成長がフランケンシュタイン博士にとって脅威となるのです。しかし、本作でもユニヴァーサル版でも、人造人間は頭が悪く、人間の言葉を話すことができないほどです。これは二作品とも原作から離れている部分です。この部分では、ケネス・ブラナー監督の、ロバート・デ・ニーロが人造人間役を演じた『フランケンシュタイン』が原作に忠実です。
 
本作では、フランケンシュタイン博士(カッシング)が危険防止のため、人造人間(リー)を丈夫な鎖で拘束しながら調教するシーンがあります。後に作られた、ジョージ・A・ロメロ監督の『死霊のえじき』において、人造人間とゾンビの違いはあっても類似のシーンがあり、本作の影響ではないかと思っています。
 
本作の博士は、少年時代に莫大な親の遺産を相続しており、それを元手に研究や死体集めをします。その博士の様子は、親が富裕層のオタク青年が、親から貰った金でパーツを買い集め、オリジナリティー溢れる痛車を作っている姿と似ています(痛車とは、車体に漫画、アニメ、ゲームなどのキャラクターを塗装した自動車のことです)。どちらも、あまり世間からの共感は得られないでしょう。
 
博士は、家庭教師にして研究助手のポール(ロバート・アークコート)が制止するのも聞かず、狂気の道を進み、許嫁エリザベス(ヘイゼル・コート)がいるにもかかわらず、手を出して妊娠させたメイドのジャスティンを人造人間を利用して殺害します。博士はオタクどころか、全く同情できないクズにまで堕ちていきます。それ故、最終的に殺人犯として死刑執行される博士を見ても、何ら可哀想とも思いません。本当に醜悪でおぞましいのは人造人間の姿形ではなく、博士の内心なのです。
 
★★★☆☆(2018年9月22日(土)DVD鑑賞)
 
原題を直訳すれば「フランケンシュタインの呪い」です。
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