11月7日(水)、秋田市文化会館で「野村万作・萬斎 狂言の世界」が開催されるとラジオCMで聞きました。それで、野村萬斎が2020年東京オリンピック・パラリンピック開閉会式を演出する総合統括に就任したことを思い出しました。
萬斎に決定するまで、このプロデューサー職に誰が就任するかがネット上で話題になっていました。北野武、秋元康、ジャニー喜多川の名前が挙がっていましたが、彼らは演出チームにも選ばれていません。AKB48やジャニーズ事務所のタレントがゴリ押しされる開閉会式が世界中に配信されるのは嫌だと思っていたので、ホッと一安心しています(演出チームに電通の社員がいるので、まだ油断できませんが)。
萬斎がプロデューサー職に選ばれたということは、日本の伝統芸能を前面に出す演出をするという大会組織委員会の意思表示です。しかし、「日本の伝統芸能」と言っておきながら、演出家が自分の感性で独自のアレンジを施した、オリジナルとは似ても似つかない「芸術作品」になるおそれがあります。リオデジャネイロ五輪の閉会式において、引継ぎ役である日本側の演出(安倍晋三首相がスーパーマリオになったやつ)に、その気配がありました。もし批判されても、アーティストぶった演出家は「ビジュアルは違っても、日本のトラディショナルなスピリッツをリスペクトしている」などと反論するのでしょう。あ~、鼻について嫌ですね。
こういう「新しい伝統」が蔓延り、本来の伝統を破壊していくのは、悲しくて腹立たしいことです。分かり易い事例が「YOSAKOIソーラン」です。これは、1991年に北海道大学の学生たちが、高知県の「よさこい祭り」と北海道の「ソーラン節」を融合させて作った、たった27年の歴史しかない祭りです(よさこい祭りとソーラン節に、それ以上の歴史があるのは認めます。しかし、両者を足したからと言って、YOSAKOIソーランの歴史が27年より長くなるというのは頭が悪過ぎるでしょう)。YOSAKOIソーランは徐々に全国に広がり、現在では日本各地にYOSAKOIチームが存在しています。それでYOSAKOIチームにいるのは若者中心で、各地に古くからある伝統芸能の担い手は年配者中心ですから、YOSAKOIソーランによって後継者を奪われた伝統芸能が静かに死んでいくという事態が起こるのです。
大概のYOSAKOIソーランは、音楽も振り付けも衣装も現代風のアレンジが施され、日本の伝統をパッチワークしたものになっています。そして、それがヤンキー好みする仕上がりになるのが不思議です。もし変なところを批判されても、「オレら魂とか絆とかリスペクトしてるッス!」などと反論するのでしょうか。あ~、私はYOSAKOIソーラン嫌いだわ~。
オリンピック・パラリンピック開閉会式という世界中から注目される場で、珍奇な「新しい伝統」を披露して、恥を晒さないように萬斎が厳しく目を光らせてほしいのです。
にほんブログ村に参加しています(よろしければクリックを!)