
莫大な財産を継いだ青年が、少女を地下室で飼い、サディズムに酔う姿を描く佐藤まさあきの同名の劇画の映画化(映画.comより引用)。1979年公開のにっかつロマンポルノ作品。監督は鈴木則文で、出演は土門峻、波乃ひろみ、八代夏子、小川亜佐美、岡本麗、山本昌平、名和宏、飛鳥裕子、朝霧友香、日向明子、菅原文太。
鈴木監督は東映でも『徳川セックス禁止令 色情大名』などのポルノ映画を撮っているので、にっかつロマンポルノでも大丈夫だろうという判断があったのでしょう。ポルノ映画だけでなく、任侠映画にカンフー映画と娯楽映画なら何でもOKの鈴木監督ですから(私たちの世代だと、菊池桃子出演の『パンツの穴』が記憶に残っています)。
高校時代に世界史の授業でナチスを知り、サディズムに目覚めた神納達也(土門峻)が、豪邸の地下室で女性を監禁したり、強姦したりと背徳的な快楽に耽ります。ポルノ映画だからエロく見せないといけないはずが、責めのやり方がトリッキーだったり、道具の仕掛けが大袈裟だったりするので、笑いを取りに来ているようにも感じます。神納に監禁された幼馴染の宮原由美子(波乃ひろみ)の放尿シーンは、発射までの緊張感と放出される尿の勢いで笑ってしまいます。
神納の実の父親は連続強姦殺人犯の蛭川源平(山本昌平)であり、神納の母親を犯すシーンでラジオから岸信介内閣の安保問題と正田美智子(現皇后)の婚約についてのニュースが流れているのが象徴的です。強姦や殺人を繰り返す暴力的な蛭川は「戦争の亡霊」であり、ラジオから流れるニュースは「戦後の偽りの平和」を表しているとすれば、このシーンは戦前(又は戦中)が戦後を侵襲しているという意味になります。そして、蛭川の血を継ぎ、ナチズムに傾倒する神納もまた戦後の大衆社会を憎悪し、人気歌手の八汐路ジュン(八城夏子)を誘拐して凌辱するのですから、同じ意味があると言えます。
戦後社会の良識を嘲笑うかのように背徳の限りを尽くそうとする神納ですが、終盤で自分より罪深き背徳を犯した者の存在を知ります。それにより神納は自分の社会的反抗が児戯に過ぎないものだと打ちのめされるのです。この選ばれし者だと思い上がった若者が打ちのめされる物語は、ドストエフスキーの『罪と罰』を思わせ、深いものがあります。ロマンポルノですけどね。
★★★☆☆(2018年1月18日(木)DVD鑑賞)
「まも」って秋田弁で女性器のことなんですか? 初耳でしたよ。