【映画評】君の名は。 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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1000年ぶりという彗星の接近が1カ月後に迫ったある日、山深い田舎町に暮らす女子高生の宮水三葉は、自分が東京の男子高校生になった夢を見る。日頃から田舎の小さな町に窮屈し、都会に憧れを抱いていた三葉は、夢の中で都会を満喫する。一方、東京で暮らす男子高校生の立花瀧も、行ったこともない山奥の町で自分が女子高生になっている夢を見ていた。心と身体が入れ替わる現象が続き、互いの存在を知った瀧と三葉だったが、やがて彼らは意外な真実を知ることになる(映画.comより引用)。2016年公開作品。監督は新海誠で、声の出演は神木隆之介、上白石萌音、成田凌、悠木碧、島崎信長、石川界人、谷花音、長澤まさみ、市原悦子。
 
2016年日本映画興行収入ランキング第1位を記録した劇場用アニメです。更に歴代日本映画興行収入ランキング第4位、日本映画の歴代世界興行収入ランキング第1位と、歴史に名を残す大ヒット作になりました。
 
背景や小道具の作画が物凄くリアルで緻密です。本作と同年公開された『この世界の片隅に』も背景や小道具の作画に凝っていますが、両作品の苦労は方向性が異なるものです。『この世界の片隅に』は過去が舞台なので、白黒写真でしか残っていない資料や、経年劣化して原形を留めていない物から想像力を働かせて、色付きで説得力のある作画をしなければなりません。それに対して、本作は現在が舞台なので、資料や現物を容易に入手することは可能ですが、それ故に観客に対する高度な説得力が要求されることになります(歴史的知識に乏しい観客でも、今現在ある物の間違いには気付きますから)。どちらが上とか優劣を付けられません。
 
本作のようなアニメ映画の作画のクオリティー向上に対し、実写映画は『ALWAYS 三丁目の夕日』以降、背景などのCG使用度が高くなっています。両者が高まっていくことによって、アニメと実写という分類が無意味化していくのではないでしょうか(アメリカの場合、アニメ映画の主流が3DCGである一方で、『アバター』のような実写映画がヒットするので、かなり両者の境界線は薄れています)。
 
作品の内容については、瀧(神木隆之介)と三葉(上白石萌音)の入れ替わりで『転校生』を、タイムリープ的な部分で『時をかける少女』を思い出しました。本作の製作委員会に「KADOKAWA」の名があるので、偶然ながら"遺伝子の継承”を感じさせます。また、三葉が町の危機を回避するために奔走しても、大方の人間が信じないのは『未知との遭遇』に似ています。これらの作品の名を挙げたのは、オリジナリティー皆無とかパクリとか非難するためではなく、むしろ過去の名作の要素をパッチワークしながら、現代性で味付けして一つの物語に仕上げた新海誠監督を高く評価するためです(このやり方を否定すると、クエンティン・タランティーノの評価はどうなるのだという話になりますからね)。
 
そして、『時をかける少女』や『未知との遭遇』の要素があるので、本作はSF映画ということになります。SF映画であれば、そこで起こる非日常的現象に説得力を持たせるため、日常の状況設定をリアルにしなければならず、それが作画のディテール追求に結びついています(嘘っぽい状況で嘘っぽい出来事が起こったら、説得力は弱まります)。
 
リアリティーの問題では、本作で起こる災厄が東日本大震災を想起させ、映画と現実がリンクしているのも効果を上げています。瀧と三葉は互いの名前すら忘却してしまう運命に抗うため、見えない絆を手繰り寄せます。この忘却への抗いが、東日本大震災だけではない悲惨な過去を忘却(それとも修正?改竄?)しようとする人々への批判にもなっているのです。
 
★★★★☆(2017年12月11日(月)インターネット配信動画で鑑賞)
 
本作のおかげで秋田内陸縦貫鉄道の前田南駅は“聖地”になりました。
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