【映画評】レイプ25時 暴姦 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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暴姦魔をエキスパートナーとして、次第に男として成長していく若者を描く(映画.comより引用)。1977年公開のにっかつロマンポルノ作品。監督は長谷部安春で、出演は山科ゆり、岡本麗、桂たまき、石山雄大、塚田末人、高橋明、丘奈保美、八代夏子。
 
暴姦魔(石山雄大)を師として成長する若者役を演じている塚田末人は、現在コントユニット「チャーリーカンパニー」の日高てん(いつもガテン系の格好をしている方)です。人に歴史ありです。当時既に30歳近いので、若者には見えませんが。
 
監督の長谷部安春は、『暴行切り裂きジャック』を殺人とセックスと食だけで構成し、それらの根源にある暴力を表現しようとしました。本作では、更に暴力を本質的に追究しています。濡れ場シーンはほとんどレイプであり、エロさより暴力性が際立ちます。食については、暴姦魔と若者が食べるのはハンバーガーやフライドチキンというジャンクフードなので、隅に追いやられた感があります。
 
ロマンポルノに路線変更する前の日活で、『野良猫ロック』シリーズを監督していた長谷部は、アクション映画の暴力性についても本作で表現しています。暴姦魔は流れ者で、赤いジャンパーに白いズボンという服装なので、日活アクション映画のヒーローのようでもあります。彼はレイプした後、女から金品を奪うことで生計を立てています。アクション映画のヒーローは正義の名において暴力を行使することで、何らかの利益を得ます。暴力を行使している点で正義のヒーローも悪のカリスマも変わらないという、まるで『ダークナイト』のような指摘がなされています。
 
暴姦魔はゲイ三人組に付け狙われ、殺された後に犯されます。加害者であった暴姦魔が被害者になるのです。男女の絡みを目当てに来た観客にとっては、ドン引きして萎えるシーンです。しかし、このシーンは性暴力から「性(=エロ)」を取った暴力を表しており、本質的な暴力を描く本作にとって、重要な意味があります。
 
暴姦魔の無残な姿を見た若者は、ゲイ三人組に復讐を果たすことで男として成長し、レイプされたことで暴姦魔に惚れている女(山科ゆり)を、俺が新しい恋人だとばかりにレイプして映画は終わります。これはレイプを暴力に置き換えれば、西部劇などアクション映画のストーリーとして成立します。「悪漢三人組に狙われている流れ者が町に来た。流れ者のワイルドさに若者は憧れ、恋い慕う女もいた。しかし、流れ者は悪漢三人組によって殺されてしまう。怒った若者は悪漢三人組に復讐し、恋人を失った女をモノにした」という感じですね。
 
長谷部監督は、日活アクション映画を様変わりしたロマンポルノの場でやりたかったのでしょうか。それは、もう戻らない日活黄金期に対する鎮魂歌でもあります。暴姦魔がゲイ三人組に連行される場所は潰れて廃墟と化した日活系映画館だったり、山科演じる女の名はルリ子、すなわち日活アクション映画のヒロインだった浅丘ルリ子と同じだったりする点から、それを感じます。
 
そして、ラストで若者がルリ子をレイプするシーンは、布団から飛び散った白い羽毛が舞い、クラシック音楽がBGMで流れている、おぞましさと美しさが奇妙に同居するものになっています。このシーンは、ウルトラバイオレンス映画の傑作『時計じかけのオレンジ』のラストシーンと似ているようで、同作にはない悲しさも漂い、本作がロマンポルノとしても、暴力映画としても異質な作品であることを印象付けるのです。
 
★★★☆☆(2017年10月27日(金)DVD鑑賞)
 
タイトルの「レイプ25時」で「NEWS23」や「警視庁24時」を思い出します。
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