
戦国時代、名越一族と千草一族は、八雲の湖をはさんで平和に暮らしていた。ところが彼らは思わぬ侵略にさらされることになる。隣国の領主御子柴弾正は、まず千草一族、続いて名越一族を倒し、その領地を手に入れる。さらに両家を守り続けてきた武神像を破壊し、湖に捨ててしまう。そして邪魔になった十郎と早百合を処刑しようとする。絶体絶命と思ったその時、湖がまっぷたつに割れ、巨大な魔神が現れた……(Yahoo!映画より引用)。1966年公開作品。監督は三隅研次で、出演は本郷功次郎、藤村志保、丸井太郎、内田朝雄、北城寿太郎、藤村浩二、上野山功一、橋本力、平泉征。
特撮時代劇『大魔神』の続編で、前作の公開から4ヶ月後に公開されています。続編と言っても、前作とストーリーは繋がっていません。大魔神の設定も前作は土の化身で、本作は水の化身になっています。
若き日の平泉成(当時は平泉征)が出演しています。顔つきはキリッとしており、声も今のように掠れていません。平泉成は何時から今のような声になったのか、そして当時からケーナ(南米の管楽器)を作っていたのか気になります。
今時の最先端VFXと違って、アナログ感ある特撮も見所です。大魔神はスーツアクター(橋本力)の目がむき出しになっている特殊な構造です。ゴジラもガメラもスーツアクターの目は外から見えません。スーツアクターによる目の演技が迫力を演出するというのも、実にアナログ感があります。
本作の物語にはキリスト教がベースにあります。本郷功次郎の役名である「千草十郎時貞」は天草四郎時貞が元ネタで、藤村志保演じる名越早百合が磔にされるのは十字架です。何より大魔神が湖水を割って登場するシーンは、旧約聖書におけるモーセの『十戒』のパク……ではなくてイメージですからね。
興味深いのは、前作『大魔神』はユダヤ教のゴーレム伝説をベースにしていることです。ゴーレムは泥人形ですから、前作の大魔神は土の化身です。本作の場合、湖水を割って登場するシーンが欲しいので、大魔神は水の化身という設定に変更されています。また前作では民衆に「魔神」と呼ばれていたのに対し、本作では「神様」と呼ばれているのも、キリスト教の神が「魔神」では不都合だという配慮からかもしれません。
このように物語のベースとなる宗教が異なるシリーズ映画が作られるのは、宗教に関して寛容(というか無関心?)な日本ならではの現象だと思うのです。
★★★☆☆(2017年9月18日(月)テレビ鑑賞)
大魔神の懲らしめ方はエグいです。