【映画評】フレンチ・カンカン | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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1888年のパリで上流向けのクラブを営んでいたダングラールは、下町のキャバレーで見初めた踊り子ニニに触発され、自分の店を処分し、その店“白い女王”を買い取り、カンカンの復活を軸とした新しいショウを見せる娯楽の殿堂にしようと画策するが、なかなか計画通りにいかない……(Yahoo!映画より引用)。1955年日本公開作品。監督はジャン・ルノワールで、出演はジャン・ギャバン、フランソワーズ・アルヌール、マリア・フィリックス、フィリップ・クレイ、ミシェル・ピコリ、エディット・ピアフ、パタシュー、アンドレ・クラヴォー。
 
本作はミュージカル映画にジャンル分けされます。ミュージカル映画と言っても、『雨に唄えば』における雨降る街中での歌唱ダンスシーンのように、日常に非日常を入れる形式もあれば、『ニューヨーク・ニューヨーク』において歌唱ダンスはステージかリハーサルのシーンだけであるように、日常と非日常を分ける形式もあります。ミュージカル嫌いな人の多くは、芝居の途中で演者が突然歌い踊り出す、前者の形式に馴染めないのが理由でしょう(『ニューヨーク・ニューヨーク』のマーティン・スコセッシ監督も同様の違和感があったため、後者の形式で演出したと思われます)。本作は、どちらかと言えば後者の形式です。
 
主要な登場人物が毒舌や皮肉を吐き散らかすキャラクターであることはフランス的です。また、製作年(1954年)にしては肌の露出やエロ描写が多めで、そこもフランス的です(実際のところ、おフランスに行ったことのないミーには分からないザンス)。
 
踊り子ニニ(フランソワーズ・アルヌール)が恋人ポール(ミシェル・ピコリ)から求婚されながらも、それを振り切るシーンで、ニニが往年の花形ダンサーだった女乞食を見るカットがあります。そこで、たとえ将来落ちぶれることになっても、今ステージで輝きたいという芸道の魅力、もっと言えば魔力のようなものが表現されています。勿論ダングラール(ジャン・ギャバン)への愛情もあったのでしょうけど。
 
ダングラールは女たらしで、だらしない男(これもフランス的?)ですが、芸事については真剣で、そこに狂気めいたものを感じます。私生活は破天荒でも、芸は一流という芸人や役者は古今東西にいます。それと通じるものがあります。
 
幾多の困難を乗り越えて実現した、舞台初日のフレンチ・カンカンで大団円となるシーンが素晴らしいです。ダンサーと観客の歓喜と狂熱が華やかな色彩で描かれ、一時の夢を見ているかのような感覚になります。その場面でダングラールは舞台裏か観客席にいて一人で喜びに浸っているのが、これまたグッと来るものがあります。
 
それでいてラストカットは舞台が行われている「ムーラン・ルージュ」の外観であり、美しく熱狂的な騒ぎが閉ざされた空間の中だけの出来事であることを示唆しています。それは一時の夢の儚さを強調していながら、同時に夢は儚いからこそ美しいという思いも抱かせるものです。
 
★★★★☆(2017年8月8日(火)DVD鑑賞)
 
歌と踊りは娯楽の王道で、ラストにそれを持ってくれば、何となくOKになります。
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