映画監督の鈴木清順氏が死去 93歳 「ツィゴイネルワイゼン」「殺しの烙印」
「ツィゴイネルワイゼン」「オペレッタ狸御殿」などで知られた映画監督の鈴木清順氏(すずき・せいじゅん、本名・鈴木清太郎=すずき・せいたろう)が13日午後7時32分、慢性閉塞性肺疾患のため東京都内の病院で亡くなった。93歳。東京都出身。葬儀・告別式は故人の遺志により近親者のみで執り行われた。喪主は妻・崇子(たかこ)さん。
1923年(大12)生まれ。48年に松竹入り、54年に日活に移籍し、56年「港の乾杯 勝利をわが手に」で監督デビュー。赤木圭一郎主演の「素っ裸の年齢」、小林旭主演「関東無宿」、渡哲也主演「東京流れ者」、高橋英樹主演「けんかえれじい」など独特の色彩感覚を生かした作品で人気を集めた。のちにカルト的な人気となった67年「殺しの烙印」を最後に「分からない映画ばかり撮る」と日活を解雇されたが、71年に裁判の末に和解。77年「悲恋物語」で監督業に復帰した。
80年「ツィゴイネルワイゼン」が国内外で高く評価され、ベルリン国際映画祭で審査員特別賞に輝いたほか、日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞などを受賞。その後、「陽炎座」「夢二」などを発表し、第58回カンヌ国際映画祭で栄誉上映特別作品として招待された2005年の「オペレッタ狸御殿」が遺作となった。90年紫綬褒章。
白ひげ、白髪の仙人のような風貌で、俳優としてもテレビや映画に多数出演した。
実弟は元NHKアナウンサーの鈴木健二氏。
日活時代の鈴木清順作品をリアルタイムで観ていない私は、『野獣の青春』から『殺しの烙印』までの作品を名画座上映やビデオで観ました。世に言う「清順美学」というか、何か変な感じは、この頃の作品にもあります。その何か変な感じがジワジワとヤバい薬物のように効いてくるのです。その変な感じが、後世の映画に影響を与えてきたのですね。
清順さんは実写映画以外にも影響を与えています。例えば『殺しの烙印』で宍戸錠演じる米の炊ける匂いフェチの主人公が、スタイリッシュな殺し屋稼業を見せるのは前半だけで、ストーリーの大半はユルユルとした生活描写です。この構成は、押井守監督の実写映画『ケルベロス 地獄の番犬』の元ネタと思われます。清順さんは、テレビアニメ『ルパン三世』第2シリーズ(いわゆる「赤ルパン」)の監修も務めており、アニメ界との繋がりもあります。後年の作品『ピストルオペラ』の伊藤和典、『オペレッタ狸御殿』の浦沢義雄はアニメ作品を多く手がける脚本家です。清順さんの奇想天外なイメージは、実写よりアニメ(的発想)の方がなじむのかもしれません。
『ツィゴイネルワイゼン』、『陽炎座』、『夢二』の「大正浪漫三部作」に清順美学が色濃く出ていると言われます。独特の色彩に加え、一見すると整合性を無視したかのような編集は、非現実的であり、変な夢を見ている感覚に襲われます。海外だとデヴィッド・リンチ作品に近いものがあります。ちなみに、大正浪漫三部作の間に『カポネ大いに泣く』を監督した清順さんは、松田優作(『陽炎座』)、萩原健一(『カポネ大いに泣く』)、沢田研二(『夢二』)と仕事した数少ない監督の一人です(他で思いつくのは深作欣二くらいです)。
私は清順さんを生で見たことがあります。2003年8月に渋谷のユーロスペースで行われた特集レイトショー上映「奇想天外ナ遊ビ」に、ふらっと舞台挨拶に現れたのです。齢80歳で仙人のような白髭の風貌の清順さんは、夏なのでアロハシャツ姿で飄々と現れました。司会者が清順さんに作品について質問しても、脱力した答えではぐらかされます。国内外からも巨匠と称される清順さんは、何ら自作についての秘密も真髄も明らかにすることなく、観客に感謝の言葉を残して去って行きました。
結局、映画というものは感じるもので、語るものではなく、作品の秘密や真髄は各々が見つければよいということを、清順さんは自らのライフスタイルによっても伝えていたのでしょう。それは自由というもので、戦前生まれで学徒出陣し、フィリピン、台湾を転戦した後、生きて祖国に帰ることができた清順さんにとって、何よりも大事なものだったと思います。
作品も生き方も自由だった鈴木清順さんのご冥福をお祈りします。
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