
1960年代後半、ブラジル・リオデジャネイロの貧民街“シティ・オブ・ゴッド”では銃による強盗や殺人が絶え間なく続いていた。そこでは3人のチンピラ少年が幅を利かせている。ギャングに憧れる幼い少年リトル・ダイスは彼らとともにモーテル襲撃に加わり、そこで初めての人殺しを経験すると、そのまま行方をくらました。一方、3人組の一人を兄に持つ少年ブスカペは事件現場で取材記者を目にしてカメラマンを夢見るようになる。70年代、名をリトル・ゼと改めた少年リトル・ダイスは、“リオ最強のワル”となって街に舞い戻ってきた…(Yahoo!映画より引用)。2003年日本公開作品。監督はフェルナンド・メイレレスで、出演はアレシャンドレ・ホドリゲス、レアンドロ・フィルミノ・ダ・オーラ、フェリピ・アージンセン、セウ・ジョルジ、マテウス・ナッチェルガエリ、アリシー・ブラガ。
フェルナンド・メイレレスは、本作の後に『ナイロビの蜂』や『ブラインドネス』で高い国際的評価を受け、昨年(2016年)のリオデジャネイロ五輪開会式の演出まで手がけた、ブラジルを代表する映画監督です。メイレレス監督は、今時の映像センスを持ちながら、画質を荒くするなどして、本作を意図的に昔の映画風に仕上げています。日本でも、ミュージックビデオやCM出身の監督が似たような手法を使うことがあります。
実話に基づくギャング映画という点で、『仁義なき戦い』など東映実録ヤクザ映画に近いものがあります。両作品とも公開時から十年以上遡った時代の実話であることも似ています。単に実録ギャング(ヤクザ)物は、事件が生々しい時に手を付けると危険だからでしょうけど。
本作の時代設定と重なるのは、井筒和幸監督の『ガキ帝国』、『岸和田少年愚連隊』、『パッチギ!』です。関西で不良少年がヤンチャしていた頃、地球の裏側のブラジルでもっとハードな暴力の嵐が吹き荒れていたことになります。本当かどうか地面に向かって「ブラジルのみなさ~ん」(©サバンナ八木)と聞いてみたくなります。
他の井筒作品との共通点は、アマチュア俳優の起用です。本作の出演者は子役も含め、オーディションで選ばれた素人が大半であり、井筒作品のメインキャストは演技素人のお笑い芸人や無名の若手が多いのです(山本太郎や桐谷健太は井筒によって鍛えられ、その実力で出世した例です)。本作の出演者はアマチュアでありながら、酷い目に遭ったり遭わせたりと厳しい要求に応えています。「人肉を食べる役が嫌だ」などと愚痴る日本のプロ女優とはレベルが違います。
物語はブスカペ(アレシャンドレ・ホドリゲス)の視点で進行しますが、実質的な主人公はリトル・ゼ(レアンドロ・フィルミノ・ダ・オーラ)です。リトル・ゼは暴力と金で欲しい物を手に入れてきたので、一人で女性を口説くことができない「精神的童貞」です。その精神的童貞ぶりの暴走が、友を失う悲劇を招くことになります。行動はえげつなくても、リトル・ゼが街のボスに成り上がるために重ねる悪行は「児戯」であり、彼の人生が本当の「児戯」によって終わるのは、何とも皮肉です。
堅気だったマネ(セウ・ジョルジ)は、リトル・ゼに家族を殺された復讐のため、ギャングになります。狙いはリトル・ゼ側のギャングで、素人には手を出さないルールを自他に課していたマネですが、唯一の例外を犯したことで報いを受けます。
ブスカペは貧困から脱するため、カメラマンを目指す堅気で真面目なキャラクターのようですが、「正直者はバカを見る」を教訓として、最後に正義に反することを行います。
人間の欲望が暴発し、無慈悲な結末だらけの物語は、まるで神の不在を説いているかのようであり、「シティ・オブ・ゴッド」=「神の街」というタイトルが、かなり皮肉めいて聞こえるのです(ギャング物に神の問題を絡めるのは、マーティン・スコセッシ作品にも通じます)。
★★★★☆(2017年1月31日(火)DVD鑑賞)
劇中でジェームス・ブラウンのあの有名な曲が使用されているのも井筒作品との共通点です。