【映画評】チャプター27 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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1980年12月、ジョン・レノンの熱狂的なファンである青年チャップマンがニューヨークを訪れる。彼の目的は、レノンを殺害すること。空港からダコタ・ハウスに直行した彼は、そこでレノンが現われるのをひたすら待ち続け……(映画.comより引用)。2007年日本公開作品。監督はJ・P・シェファーで、出演はジャレッド・レト、リンジー・ローハン、ジュダ・フリードランダー。
 
製作総指揮も務めるほど、この作品に熱を入れたジャレッド・レトは、実在するマーク・デヴィッド・チャップマンの役作りのため、2ヶ月で30kgも増量しました。プロ意識の高さを感じます。後に『ダラス・バイヤーズクラブ』では、HIV患者の役作りで13kg減量しています。クリスチャン・ベイルや鈴木亮平と同じ「デ・ニーロ・アプローチ」というやつです。
 
デ・ニーロと言えば、本作はタクシードライバー』を意識している点があります。パンツ一丁のチャップマンが拳銃を壁に向けて構えるシーンは、そのままですね(『タクシードライバー』のトラヴィスの場合、下は履いていますけど)。チャップマンとトラヴィスは、ニューヨークの街で自意識が肥大した孤独な男が、「汚れた世界」を浄化するため、たった一人で狂気を爆発させるという点で似ています。『タクシードライバー』が、1972年に起きたジョージ・ウォレス大統領選候補狙撃事件の犯人の日記から着想を得たらしいので、現実の狙撃犯同士で内面が共通するということでしょう。
 
チャップマンのように自意識肥大、言い換えれば自分の世界が絶対化すると、自分以外の外界と対立関係になります。そうなると、大概自分の世界を変化させ、外界との折り合いをつけることで解決するのですが、それができない場合、自分の世界を消すか、外界を力づくでも変えるかの極端な解決策を選ぶことになります。
 
チャップマンの場合、自殺願望(=自分の世界を消す)を抱えながら、ダコタ・ハウスの因縁(ロマン・ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』とジョン・レノンを繋げるこじつけ)やJ・D・サリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』に触発され、自分の世界しか見えなくなることで、「汚れた世界」の象徴としてのレノンを殺害する(外界を力づくで変える)方途を選んだと言えます。
 
このようなチャップマンの精神構造を異常と断定するのは簡単です。しかし、殺されたレノンも音楽や発言により自分の理想(『イマジン』の歌詞みたいな理想郷)を世に広め、愛と平和に満ちた世界に変えようとしていたのですから、根本的に同じものがあります。両者の違いは才能の有無です。レノンには素晴らしい才能があったが、チャップマンには才能が全くなかったということです。
 
天才でも凡人でも、心の奥底には世界を自分の理想どおりにしたいという願望が秘められています。その願望を才能がないために実現できず、破滅に向かうしかなかった凡人が、本作で徹底的に内面を描かれたチャップマンなのです(あくまで脚本も担当したJ・P・シェファー監督の解釈に基づく内面ですが)。
 
★★★☆☆(2016年12月21日(水)DVD鑑賞)
 
チャップマンは現在も服役中です。
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