【映画評】暴力脱獄 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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街のパーキングメーターを壊して収監されたルーク。ひと癖もふた癖もある囚人たちの中、彼はその不思議な魅力で次第に人気者となっていく。そして彼は残忍な看守を嘲笑うかのように、繰り返し脱獄を図るのだったが……(Yahoo!映画より引用)。1968年日本公開作品。監督はスチュアート・ローゼンバーグで、出演はポール・ニューマン、ジョージ・ケネディ、J・D・キャノン、ルー・アントニオ。
 
本作は原作者であるドン・ピアースの牢獄体験に基づいている点で、安部譲二原作の『塀の中の懲りない面々』や花輪和一原作の『刑務所の中』と同ジャンルです。刑務所の中の世界は、真面目に生きる多くの人たちにとっては、未体験の秘境であり、興味を引くので映画の題材には適しています。
 
ポール・ニューマン演じる主人公ルークは、酔って街のパーキングメーターを破壊した罪で刑務所入りします(ちなみに若き日の井筒和幸は、酔った仲間と街の交通標識を引っこ抜いて逮捕されたことがあると言っていました。おそらく本作の真似をしたのでしょう)。服役中のルークは何も持たない丸腰で、いわば策を弄さない姿勢で囚人たちのカリスマになっていきます。どんな状況でも人生を楽しもうとし、その笑顔が他の囚人たちを魅了するのです。
 
そのルークは母親の訃報を知った時から脱獄を繰り返し、何度も懲罰を受けながらも諦めない姿勢で、カリスマ度を強めていきます。思うに、ルークの姿にはイエス・キリストの生涯が投影されているのではないでしょうか。刑務所内の規則や看守の監視によって自由を奪われた囚人たちにとって、それらを大胆不敵に破ろうとするルークは救世主に映ったでしょう(看守が盲人であることは、「見ているようで見えていない」から、監視を恐れることはないという権力批判になっています)。
 
また、ゆで卵の大食いに挑戦した後で横たわるルークの姿は、磔刑に処せられたキリスト像を模倣しており、何度も脱獄と収監を繰り返すのはキリストの復活のようでもあります。極めつけとして、ルークの父親が登場することはなく、脱獄したルークが最後に立ち寄った教会で神と対話することにより、彼にとって神が父親的存在であるという解釈が成り立つことです。ルークは神の子すなわちキリストになるのです。
 
しかし、ルークは聖人ではなく、罪人です。罪を犯した荒ぶる男であるルークに現代のキリストの姿を見出すことは、綺麗事ばかり口にする、従来のキリスト教への批判になります。そのような反権威的姿勢が本作の根底にあり、反抗的ヒーローであるルーク役には、不良キャラのニューマンが似合っているのです。
 
★★★★☆(2016年4月5日(火)DVD鑑賞)
 
本作には脇役でデニス・ホッパーが出演しています。探してみてください。
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