【映画評】黒い十人の女 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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TVプロデューサーの風松吉は、9人もの愛人を持っていた。やがて彼は女たちに殺されると思い込んで、妻に相談する。そこで妻が立てた計画とは……(Yahoo!映画より引用)。1961年公開作品。監督は市川崑で、出演は山本富士子、宮城まり子、中村玉緒、岸田今日子、船越英二、岸恵子。
 
タイトルどおり、影の多い真っ黒な画面から始まります。『』や『おとうと』で見せた、陰影の使い方がモノクロの本作でも活かされています。
 
本作は社会風刺の効いたブラック・コメディです。風(船越)はテレビ局に勤めていますが、その仕事場が軽薄なものに描写されています。本作でのハナ肇とクレージーキャッツの雑な扱いもそうです。当時の映画界が、テレビのことを「電気紙芝居」と揶揄していた風潮の反映でしょうか。結果的にテレビ業界の軽薄さが人間社会の希薄さの表現になっています。
 
確か『ハリー・ポッター』シリーズのどれかで、ハリーが「女子は二人以上集まると強い」みたいなことを言うシーンがありました。これは男なら経験上首肯できることで、女は二人以上群れると強い団結力を発揮し、男を立つ瀬がなくなるまで追い込むことができます。本作では十人も群れるので、風が窮地に立たされるのは当然です。
 
風は市子(岸)の手によって、テレビ局を辞めさせられ、絶望のドン底に沈みます。軽薄なテレビ局=空虚な人間社会とのつながりが、彼の根幹であるアイデンティティーを形成しているのが皮肉です。これは残酷な復讐のように思われますが、現実の男は女に対して同じことをしています。結婚したら専業主婦になって家庭に入ることを強制する、無形の圧力は日本社会に根強く残っています。これは愛を口実に女を社会から断絶しているのです。男女の立場を逆転してみると、どれだけ酷い仕打ちか分かります。
 
本作は市川監督らしいクールな演出で女の怖さを描いています。そのシナリオを書いたのは、市川監督の妻であり、仕事上のパートナーでもあった、脚本家・和田夏十です。
 
★★★☆☆(2015年12月23日(水)テレビ鑑賞)
 
当時の中村玉緒の可愛さと、今の中村玉緒の面白さのギャップが凄いです。
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