
かつて二郎が所属していたサークル「気球クラブ・うわの空」には、様々な目的を持った若者たちが参加していた。5年後、ガールフレンドのみどりと微妙な関係を続けていた二郎のもとに、気球クラブのリーダーだった村上の訃報が入る。村上を偲ぶため、バラバラになっていた仲間たちが再び集まることになり……(映画.comより引用)。2006年公開作品。監督は園子温で、出演は深水元基、川村ゆきえ、長谷川朝晴、永作博美。
近頃の低予算映画にありがちなデジタルビデオ撮影です。また、オリジナルスコアによるBGM(劇伴)はありません。映画としてはマイナスである二つの要素は、むしろリアルな現代を映し出すのに寄与しています。
気球クラブのリーダー、村上(長谷川)の死を弔う儀式が物語の中心です。何かが終わり、何かが始まるという「喪失と再生」が本作のテーマで、それは青春映画に共通するテーマです。やり直すことができるのは青春の特権だからです。青春時代なら「挫折」で済むことが、青春時代が過ぎ、大人になると「失敗」や「転落」という取り返しのつかないことになります。
弔いの儀式を描いているので、酒宴のシーンが多いです。現実の通夜や葬式も酒宴が付きものですからね。本作の酒宴は、皆が輪になって何かを囲むような形で行われます。その輪の中心には、亡き村上がいると思えば、酒宴が儀式性・宗教性を帯びてきます。
冒頭のシーンで、村上の訃報と9・11アメリカ同時多発テロのニュースが関連付けられます。これは9・11同時多発テロもまた、何かの喪失であるからです。本作の気球クラブOBとOGは、気球クラブの象徴である村上の死(=喪失)を弔いの儀式を行うことで受け入れ、新しい人生へと前進しようとしました。世界の人々は、9・11同時多発テロで喪失した何かを弔い、新しい時代へ前進できたのでしょうか。
村上とミツコ(永作)の関係は、まるでミステリーのようであり、二人の関係を解き明かすように観客に提示していきます。村上はロマンチストで、ミツコは現実主義者です。夢やロマンばかり口にする村上を、ミツコは自分の生活に引き寄せようとします。気球に乗って空を漂う村上と、重力で地に縛り付けようとするミツコ。ミツコの重力(=想い)が愛であり、村上の死によりミツコの愛は遂げられなかったことになります。村上はバイク事故で亡くなったのですから、地球の重力が勝ち、ミツコの重力が敗れたとも言えます。終盤でミツコが村上に愛が届かない切なさを表現します。観ていると、胸が締め付けられるような思いになります。永作の名演技です。このシーンのために、本作があると言っても過言ではありません。
本作は、荒井由美の名曲「翳りゆく部屋」をモチーフにしており、劇中でも登場人物に歌われ、エンディングテーマでもあります。荒井由実の名曲がモチーフで、何ものかへの「鎮魂歌」であり、空を飛ぶことに執着する登場人物がいるという要素を拾うと、宮崎駿監督の『風立ちぬ』と共通しているから不思議です。
★★★★★(2015年10月2日(金)DVD鑑賞)
気球クラブOG役に江口のりこ、安藤玉恵がいて、「売れたなあ」と感慨深くなります。