【映画評】國民の創生 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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物語は南北戦争直前からその後の時代を背景に、南部と北部の二つの家の人々がそれまで親しくしていたにもかかわらず敵対して戦い、やがて戦後の混乱から起こる人種闘争は、両家の男女の恋をも引き裂いてゆく(Yahoo!映画より引用)。1915年アメリカ公開で、1924年日本公開作品。監督はD・W・グリフィスで、出演はリリアン・ギッシュ、メエ・マーシュ、ヘンリー・ウォルソール、ミリアム・クーパー。
 
今から百年前の映画です。当時は1時間ほどの短編映画が主流で、2時間半を超える本作は、興行的に冒険作でした(現代の感覚で言えば、5時間の超大作です)。それでも大ヒットしました。
 
白黒サイレント映画なので退屈するかと思いきや、そうでもありません。テンポよく展開していきます。近年の『アーティスト』のように、白黒サイレントは単なる手法にすぎず、脚本や演出によって面白く作ることは可能なのです。
 
群衆シーンや戦場シーンは、CGなどない時代ですから、現実に大勢のエキストラを動員し、大掛かりなセットを作って撮影したものです。現代ではコストがかかり過ぎ、再現困難な映像が映し出されます。
 
本作は、黒人差別組織クー・クラックス・クラン(KKK)が正義であるという白人目線で描かれているので、公開当時も抗議運動や上映中止など問題が生じました。現代でも、『オー・ブラザー!』や『ジャンゴ 繋がれざる者』のようにKKKを滑稽かつ小馬鹿にして描くことは許されても、正義として描くことはトラブルの元になります。しかし、こうした白人目線の正義は、グリフィス監督の思想信条をストレートに表現したものであり、また公民権運動の遥か前であるという時代背景を考慮すれば、現代を生きる私たちが、とやかく言うことではありません。実際に本作が大ヒットしたということは、当時の大衆心理を掴んだ証拠です。
 
ところで、現代日本で息巻いている右寄り勢力は、なぜ中韓ヘイトな映画を作らないのでしょうか。グリフィス監督のように自己表現し、それが大衆心理に合致するものであれば、メジャー公開して大ヒットすること間違いないはずです。結局、彼ら右寄り勢力の反知性や覚悟の無さ、そして自分たちの主張が大衆心理を掴むことができないという真実への恐れから、それができないのでしょう。
 
★★★☆☆(2015年8月28日(金)DVD鑑賞)
 
DVDで観たら、淀川長治の面白い解説も聞くことができました。
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