【映画評】ゲルマニウムの夜 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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教会の教護院に舞い戻ってきた主人公・朧。冒涜の限りを尽して、宗教を試す。ゲルマニウムラジオの透明なイヤホンから神の囁き。なぜ、生の中に閉じ込められているのか。その答えなど無いことが分かっているのに。ただ別の思いは薄らと漂う。“生きることは喜びに満ちている”その喜びには傷つくこと、痛むこと、苦しがり、そして苦しがらせること、絶対に逃げ切れない虚しさも含まれている。でもなぜだか希望を感じてしまう。それが何で、どこに続くかは誰にも分からないのに。...(映画.comより引用)。2005年公開作品。監督は大森立嗣で、出演は新井浩文、広田レオナ、早良めぐみ、大森南朋、麿赤兒、石橋蓮司、佐藤慶。
 
花村萬月の原作を荒戸源次郎の製作総指揮で映画化です。荒戸と言えば、『ツィゴイネルワイゼン』、『どついたるねん』、『赤目四十八瀧心中未遂』も作っています。本作にもエロス、男同士、臓物が盛り込まれています。
 
主演の新井は、反抗的な人物を演じるには適役ですが、彼をメインに話を展開させるのは厳しいものがありました。メインよりサブで光る役者なのでしょう。
 
ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の『ソドムの市』に及ばないまでも、不潔で不快な変態行為を見せられます。初めの方にある豚の去勢シーンは、教護院という宗教施設が生殖を禁じる反自然的空間であることを意味します。だから、女たちが身籠もることはなく、男たちは男色に生のエネルギーを向けます。厳格で禁欲的な宗教が自然に反すると批判するのは、ニーチェのようです。
 
しかし、日本だとキリスト教を批判しても、衝撃が少ないでしょう。何しろ日本のキリスト教徒は全人口の1パーセント未満ですから(その割にクリスマスで浮かれるのですが)。全人口の20パーセントがキリスト教徒である韓国では、『シークレット・サンシャイン』や『渇き』で、牧師が性欲の罠に落ちるシーンがあり、衝撃的な宗教冒涜として意味があるのでしょうが、日本人である私にはピンと来ませんでした。もし本作の設定が山奥の禅寺だったと想像したら、かなり罰当たりな印象を受けそうです。
 
★★☆☆☆(2015年4月24日(金)DVD鑑賞)
 
麿赤兒と大森立嗣・大森南朋は親子です。彼らの作品はこちらでお探しを
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