【映画評】ブロンコ・ビリー | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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拳銃の曲撃ちや荒馬乗りを披露する“ワイルド・ウェスト・ショー”を催すために、6人の団員と全米各地を巡業するブロンコ・ビリーの姿を描く(映画.comより引用)。1980年公開作品。監督・主演はクリント・イーストウッドで、出演はソンドラ・ロック、ジェフリー・ルイス。
 
イーストウッド監督作品にしては、冷たさや暗さが少ないコメディです。所々に緊張感や冷徹さはありますが、『ミスティック・リバー』や『チェンジリング』ほどの暗さはありません。
 
本作は旅芸人一座の映画です。古今東西で旅芸人一座=サーカスを題材にした映画は数多くあります。それは映画は見世物であったという起源が親和性を持つからでしょうか。
 
古き良きアメリカの姿を演じる一座のメンバーの正体は、前科者です。彼らは獄中で知り合いました。ボスであるビリー(イーストウッド)は、本物のカウボーイでもありません。それが彼のコンプレックスになります。地方をドサ回りする彼らの姿は、アーバンライフを生きる者たちとの対比により、陳腐で滑稽な存在に映ります。西部劇的なアメリカ像が、イケてない幻想になっているという現実です。
 
訳あって一座に加わったリリー(ロック)は、初めはビリーたちを馬鹿にしていました。しかし、彼らと行動を共にする間に、その人間性に触れ、最後は強欲な身内やアーバンライフを捨てて、一度離れた一座に帰ってきます。本物の家族より擬似家族を選び、それを再生の道とするハッピーエンドです。これは娘のファイトマネーだけが頼りのホワイトトラッシュ(白人貧困層)な肉親より、トレーナーとの擬似父娘関係を良しとした『ミリオンダラー・ベイビー』と同じ構造です。
 
本作のラストでは、サーカステントの屋根に張られたアメリカ星条旗のカットが大写しになります。これによりイーストウッド監督は、アメリカについて描いたのだと気付かされます。古き良き西部劇的なアメリカは幻想に過ぎません。西部劇で出世したイーストウッド監督は、『許されざる者』で西部劇に終止符を打ちました。人種や過去のしがらみを越えた擬似家族的関係が、これからのアメリカを創るという思想が、本作から伝わってくるのです。
 
★★★☆☆(2015年4月17日(金)テレビ鑑賞)
 
太陽を直視した時のように顔をしかめれば、君もイーストウッドみたいだよ!
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