ヒットしている作品って「ゾンビ」をモチーフにしているのが多くないか?
具体的には、こんな感じ。
・進撃の巨人
・魔法少女まどか☆マギカ
・亜人
・東京喰種
・極黒のブリュンヒルデ
・アイアムアヒーロー
1.ゾンビの定義
まず、ゾンビとは何か? ここでは、以下のように考えています。
・「生ける屍」であること~ もっともオーソドックスなパターンは、死体なのに動いている状態。その際、理性や記憶を失っていることも多い。また、明確に死んでいるのではなく「死んではいないが、生きてもいない状態」という複雑な状態や、単に不死も含む。
・生物として、人類とは明らかに違うポジションにいること~ たとえば、人間を食べるということ。趣味的な食人は除いて、食物連鎖の頂点であるはずの人間よりさらに上にいるということだったり、なにか理由があって人間を食べなければならない、というパターン。また、超能力のようなものを有していることも含む。
2.各作品のソンビ要素
それでは各作品についての考察を。以下大量のネタバレを含みます!
・進撃の巨人
主人公のエレンは、肉体を巨人に変化させる能力を持っているが、変化している間は肉体を自由に操ることができなかったり、その間起きたことを忘れてしまったりする。言わば巨人であると同時に「生ける屍」になってしまう。一方副主人公のミカサは、高い身体能力を持つが感情に乏しい女性で、幼いころエレンに救われた過去から、エレンを守ることを使命とする(最優先にする)という設定があり、これも一つの「生ける屍」状態と言える。
また、敵=巨人は人間を食べる。
・魔法少女まどか☆マギカ
主人公をはじめとする「魔法少女」は実は死体が魔法によって動いている状態であり「生ける屍」そのもの。敵=魔女は、エネルギーを使い果たした魔法少女が意識や感情を失った代わり、さらに強大な力を持った存在。
また、敵=魔女は人間(の精神エネルギー)を食べる。
・亜人
亜人とは、人類の中に現れる決して死なない新生命体。死ぬと即座に蘇る。
人間は亜人を実験動物扱いしており、作中では亜人と人間の対立が描かれている。
・東京喰種
喰種(グール)という存在は、人間に非常に似ており正体を隠して社会に溶け込んでいるが、身体能力や回復能力が人間の数倍あり、人間を食料とする。主人公は人間からある日突然「喰種」になってしまった特殊な存在。作中では喰種と人間の世界を揺れ動く主人公に焦点があてられる。
・極黒のブリュンヒルデ
仲間の魔女たちは、超能力を持っている女の子だが、その正体は人間ではなく、体に埋め込まれた宇宙人が人間の体を借りている存在である。その体も、薬を飲み続けないとドロドロに溶けてしまう。主人公は人間だが、その魔女たちを守ろうとしている。
戦っている敵も、魔女=宇宙人=ゾンビである。(そしてそれは人間を食うらしい)
・アイアムアヒーロー
主人公の周囲の人々(というか世界全体)が、ゾンビのような食人鬼と化す謎の奇病に感染してしまうパニックもの。
敵=当然ゾンビ
まだ完結していない作品ばかりだけど、それぞれの作品の主なテーマは、おそらく作品ごとにまったく異なっている。ではなんでこんなに「ゾンビ」っぽい設定が共通しているのだろう?
これらの作品は、いわゆるホラー映画の「ゾンビもの」をやっているわけではなく、ソンビというモチーフを用いて、なにか別のものを扱っているのではないか?
3.ゾンビで読み解く、各作品の構造
以上の作品を、ゾンビというテーマでちょっとグループ分けしてみよう。
・「主人公がゾンビであり、敵もゾンビ」というパターン
進撃の巨人、魔法少女まどか☆マギカ
・「主人公がゾンビであり、敵は人間」というパターン
東京喰種、極黒のブリュンヒルデ
・「主人公は人間であり、敵がゾンビ」というパターン
アイアムアヒーロー
こうして整理してみると、アイアムアヒーローだけが「普通の」ゾンビものであり、それ故に他の作品とは異なっていると言える。しかし物語の中では、主人公たちだけでなく人類全体がパニックになり社会は無秩序状態に陥っていて、主人公たちは「特別」な存在ではなく「普遍的」な存在と言えるので、やっぱり人間がゾンビ化している……と言えるのかもしれない。
これらの作品の共通点を、「ゾンビというモチーフ(設定)」 という表現から一歩踏み込んでみると、「人間が生きているのか死んでいるのか曖昧な状態(ゾンビ)になる=崩壊した秩序が前提となっている物語」ということができるのではないだろうか。
4.ゾンビとは何を象徴しているのか?
「主人公がソンビ」という部分が、キーワードである。作品の中で主人公がゾンビになるということは、読者側の世界、つまり読者もその一員になっている"人類”がゾンビになったということだ。
それは文字通りの意味ではなく比喩で、人間が生きているのか死んでいるのか曖昧な状態(ゾンビ)になるというのは、要するに人間という存在そのものの定義が覆されるということである。つまり、読者にとって一番痛い部分を突かれた、ということだ。
「自分のいるこの世界って、問題ない正常な世界だよね? 私の頭がいつの間にかおかしくなったりしてないよね?」という読者の潜在意識に働きかけるような設定を作品に盛り込むことで、「秩序が完全に崩壊してしまった」ということを象徴しているのだ。
私が最初に挙げた、ゾンビの二つの条件を思い出していただきたい。
「生きた屍」であること、人類と違うポジションにいること。
これの逆の状態は、ずばり
生きていること、人類であること。
という、最大とか唯一といってもいいような「秩序」である。つまり、ゾンビというのは徹底的に秩序の逆の状態を表しているのだ。
5.結論
つまり、秩序が崩壊していく(社会がパニックに陥ってしまったり人類が滅んでしまったりしそうで、主人公たちがそれを阻止する)ことがストーリーの主軸になっているのではなくて、すでに秩序がこてんぱんに崩壊してしまった(してしまうことが決まっているかもしれない)という前提で、それぞれのストーリーが進んでいくということがこれらの作品の共通点なのだ。
そして、その秩序が、最初から崩壊してしまっているのがアイアムアヒーローや亜人であり、徐々に崩壊していくのが進撃の巨人、魔法少女まどか☆マギカであり、崩壊するかしないかの危うい綱渡りをしているのが、東京喰種、極黒のブリュンヒルデだということができる。この違いはそれぞれの作品のテーマと深くかかわっている。
敵(対立軸)がそれぞれソンビ、人間、その中間という違いに目を向けると、それぞれの作品のテーマがより明確になってくる。
ゾンビと戦う作品(進撃の巨人、魔法少女まどか☆マギカ、アイアムアヒーロー)は、作品中の世界がなぜこうなってしまったかを解き明かすことが物語の大きな流れとなっていて、これは「秩序をどうやって取り戻すか」を描いているのだということができる。
一方、人間と戦う作品(亜人)と、主人公も敵も、ゾンビと人間の中間のような存在の作品(東京喰種、極黒のブリュンヒルデ)では、「秩序とはそもそもなにか?」を描いているのだ。
ここで、ゾンビではなく秩序というキーワードで他の作品に目を向けると、やはりテラフォーマーズやデストロイ、自殺島など、「秩序と非秩序の葛藤」をテーマにしている作品がとても多い、という気がする。
現在は、そのような形の物語でなければ、成立しないような時代なのだろうか。