KAGEROU/齋藤 智裕
とても良い作品でした。
命とは何なのかというテーマに対して、真剣に向き合ったものだと感じました。
「生きたいという意思」と「肉体」は別ではないかという問いかけが
この作品のミソだと思います。
また、別の場所で作者が、別に自分は自殺を無理やり止めようと思わない、
その前にどうしても気付いてほしいことがある、と言っていましたが、
そんな内容もストレートに盛り込まれていました。
1.うろ覚えですが、
『「生きたいという意思」がなくなり、「肉体」もばらばらになり
他の人間に移植されても、その「肉体」が有効に使われるなら、
本人は“生きている”と言えるのだろうか?』
という言葉。
2.その後の、
主人公が図らずも自分の心臓を提供したドナーに対面し、生きてほしいと願い
そして自分も“生きたい”と思う場面。
3,最後の、
自ら「肉体」が失われることを選んだ主人公の体の各部が、
様々な場所の、様々な人に移植されて“生きている”ことを示唆する結末。
作者が提示したのは新しい価値観であって、この作品には価値があると思います。
私はラストの一章で、正直涙しました。
命の大切さ、というテーマはすでに語り尽くされていて
(それはやはり医療をモチーフとした、「ブラック・ジャック」によると思いますが)
最近はもうあまり見かけませんが、思いつく限りでは
「1リットルの涙」「世界の中心で、愛をさけぶ」「おくりびと」
どれも、命はなぜ大切なのか、命には何故尊厳があるのか? というところに焦点を当てているように思います。
むしろ今語られるべきなのは、何故人を殺してはいけないのか? ということではないでしょうか。
(今というか、平成元年からずっとそうなのだと思いますが)
また、命に関しては近年クローンや臓器移植などの技術革新も進んだので、
そういった面から掘り下げる文脈が発達して然るべきでしょう。
その意味では、KAGEROUは非常に文学的だと言えます。
ラジオで豊崎さんが言われていたように、
比喩の陳腐さはとても気になりましたが、それを差し引いても。
(あのオヤジギャグは結末の伏線になっていて、いい仕事してると思います)
この作品は純文学ではないし、ケータイ小説でもない。
そしてタレント本でもない。と感じました。
そしてどのジャンルにも属さないから悪いのではなく、
新しいジャンルだと評価することもできるのではないでしょうか。
あと、この作品が世に出たことの反響から考えさせられたのですが、
まず読まないのにあれこれ言うのは論外だということ。
それから、比喩とか構成の稚拙さとか、
技術的なことを問題にするのも重要なことなんだけど
そういったものは後からいくらでも身につくものだし、
才能なんてあると思った人勝ち。
作者が伝えようとしているメッセージ、
そしてそれを形にするための容れ物としてつくった小説。
真剣に本を読もうとしているなら、
また自らも何かを表現しようとする人なら尚更、
それを掬いあげるべきだと思いました。
実際には技術とか才能が備わってなければ
そもそも本には商品価値がないわけで、
加えてこの作品が世に出た経緯について、公平を望む人や、
妬み嫉みを隠せない人、単純に騒ぎに乗じて悪ふざけする人、
いろいるいるわけですけど、
一読者としてはこの作品に出会えたことを心から嬉しく思います。