温暖化について2008summer-破- | 圭一ブログ

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圭一のブログです。1984年宮崎県生まれ

地球温暖化とは要するに二酸化炭素が増えすぎたという問題であるが、

その原因である化石燃料はどこから沸いて出たかというと、

もともと地球上にあったものなのである。

なので大気中の二酸化炭素がいくら増えようと、

地球全体の二酸化炭素は全く増えても減ってもいないのである。
例えば植林をしたところでそれは木の中に二酸化炭素が

一時的に固定されているだけのこと。

カーボンオフセットなんて最近流行っているが

まったく何にもなっておりゃせんのである。

ファッションであり一歩間違うと自己満足でありへたすると偽善だ。

だからもう、温室効果ガスをなんとかして

宇宙にもって行き引力の及ばないところに捨ててしまうしかない。

人類最大のポイ捨てである。しかしこのロマン溢れる壮大な計画は

もちろん何人かの誠実な科学者が思いつきはしたのであるが、

実現は難しそうである。

しかしこれがもし実現したとしても別の不安が生まれそうである。

地球、そして生態系というのはとても繊細なバランスで

そのシステムを保っているのである。

二酸化炭素ももちろんその一部であり、

人間の勝手でそんなことしちゃったらそれこそなにが起こるかわからない。

水は何億年もかけて空の上から深海まで旅をして循環している。

虫けらだって人間だってその命が終わっても肉体は

原子レベルでは一ミクロンも失われることはないのである。

だがこの考えは、地球全体で質量保存の法則が成り立っているという

これまたオカルト的な考え、ほぼ宗教である。

そう、地球には絶え間なく太陽光線がさんさんと降り注いでいるのだ。

ついでにいうと得体の知れない宇宙光線もバリバリに降り注いでいる。

大したこともしていないのにノーベル平和賞を取った

「不都合な真実」のなかではこのような説明がされていた。

北極南極の氷が鏡の役割を果たしているのだと。

地球の循環システムは宇宙から降り注ぐ太陽光線も含めて

うまくやっていたのだと。


しかし氷が解けて少なくなってしまったために

太陽の熱が逃げていかないのだと。

つまり地球上の二酸化炭素の総量が問題なのではなく、

やはりバランスが崩れてしまっていることが問題なのだと。

ちなみに私は「不都合な真実」を鑑賞するにあたり

一度目は酔っ払って寝てしまい、二度目はこれまた酒を飲みながら観、

最後まで観ることはできたのだがその後あまりに飲みすぎたらしく

一人で部屋で飲んでいたにもかかわらず記憶を失ってしまった。

次の日は無論二日酔い。これが私の不都合な現実である。


つづく