震災の影響を見ると、子供たちは変わらず元気なような気がします。

テレビで見ましたが、SOSの校庭の文字の上でサッカーをしている子供達をみました。
うちの地元の子供達(保育園児)たちが保育園に行くところをみましたが
普通にいつもと変わらないような生活でした。

ゲームの影響ではないと思いますが
身近な人や少し遠い人でも
人が死を迎えることを目にして、少しずつ年を重ねるにつれて
『死』というものが近くなっているというのは感じられます。

自分も自己判断で病気を長引かせて
23くらいのときに死にかけたときがありました。
たまたま、病院が近くにあり,先生は居たというので
生き延びた感があります。

多分皆さんもよっぽどのことが無い限り
10代くらいまでは自分が死ぬということを想像する人と言うのは
少ない様に感じますが。

買い占めや風評被害などは
恐れからくるものだと、漠然とした死ぬかもしれないというのがあり
それがそうさせているのかな?
とも思う所はあります。

子供頃は誰しも天使。
少しずつ悪いことを教えられて進んでいくような
そんな感じもしますが。

ただ、生きることは分かち合うことというのもあると思いますが

生きるということは奪うことだったりというのもあるかもしれません。


ご飯を食べる時に頂きます。

何を頂くのか?

食べ物?

命ではないでしょうか?

奪い合うというのが決して悪いこととは言えないような気もします。

ただ、良いバランスだったものが震災によって崩れているのかなと思う所もあります。


音楽に携わっておりますが

こうした時に自粛をするのが良いのか、それとも
何かしら発信をする方がいいのか。
どちらが良いのか今は分かりません。

先ほど『死』について書きましたが
お経もそうですが、音楽と言うのは歴史的に見て
神様に捧げるというところから来ていると思います。

そこから趣味趣向になったと思いますが。

大人から、子供まで楽しめる音楽と言うのが
本当に力になるのかなと
思う所もあります。

関東地方では計画停電などがあり
なかなかライブハウス等も危機的な状況だというのは聞いております。

どれくらいの期間で元に戻るのか分かりませんが
その時にそこがないというのも悲しいことですね。


今の状況でライブや音楽を発信するというのが決して悪いことではないと思いますし。
受け手の状況ではないでしょうか?


農業をやっているものとしては
正直現在の状況はあまりかんばしくはないと思います。
この時期の野菜などで重油などを使っている人等は
燃料の行き渡らない状況というのは深刻ですし。
なおかつ放射能の問題もあると思います。

そこから色々と尾ひれもつき、
関東圏の野菜や農畜産物はかなりの打撃になっていると思います。

音楽と同じ様に、落ち着いた時には
何もないということになってしまうかもしれない状況です。

デフレと言いますが、農業はスタグフレーションに近い所があります。
資材は高騰しつつあり、野菜や畜産物は価格が下がっていると。

最終的には全ての人に影響は出るでしょう。
特に、福島、茨城は首都圏の野菜等の大産地でありますし。
東北は水産物、お米の産地でもあります。


仕分け作業などで無駄とされたものも
無駄ではないものも多くあるような気がします。

野球や、サッカー等。
計画停電の影響で開幕等影響がありますが
大相撲の時と同じ様に、その開催場所だけの打撃だけでなく
周りのお店をやっている方にも大きな打撃があります。
なおかつ、極論で言えば、東京ドームは一般家庭の6000件分の消費電力があると言われます。

核家族で3人として全てナイターに行ったとすると
18000人でしょうし、40000人が入るとすると。。。
その時間外に出かけている方がエネルギーを抑えられるのかもしれませんし。

どちらが正しいのかというのは分かりかねます。

一時期話題になりましたが
マイケルサルデル氏のこれからの正義の話をしよう
ではりませんが。
一方的な見方ばかりになりがちのような気がします。


鶴淵ファームのせがれの日記


極論で言えば、買い占めもそうしないのも
どちらも正しいと。
野球にしても、音楽にしても
するのもしないのもどちらも正しいと。




でも言えるのは

震災にせよ、放射能にせよ、病気にせよ、事故にせよ
どの道、今の所、不死の人は居ませんし。
人は死ぬのですから
どうせなら、死んだ時に誰かの役に少しでもたって死んだ方が良いと思います。


震災やその2次、3次被害にあわれて亡くなった方
その失われた命にたいしてどうするほうがいいのか。




このブログを読んでいらっしゃる方はもちろん生きていると思いますが

これから大事なのは何を選んで何をするかというのが
大事なような気がします。

皆と同じである必要があるのでしょうか。

そんなことを考える一日でした。