今回の地震、生と死について沢山考えさせられました。



地震の瞬間、私はatomにいました。


揺れの激しさにatomにある大型機材が揺れ、本当に死を感じました。。


周りの機材を抑える事しか出来ず逃げるなんて不可能。


しかしatomの大型機材は安全ワイヤーにより何一つ倒れる事なく安全であり本当に助かりました。


地震がおさまりすぐに非常階段で外へ。


沢山の人がビルから出てきていて騒然としていました。


気になる震度を調べると5強…


しかし東北が震源地と分かり震度7…


福島には帝王切開後で療養中の嫁に、産まれて3週間の息子、2歳の娘、嫁の家族。


宮城には私の母親の家族全員。


電話はつながらない。。メールは返ってこない。。


また私の家族は母親は連絡が取れたが、父親、障害/持病をもつ兄2人がつながらない。。


とにかく何をしていいか分からず家に帰りニュースを見てました。。


地震発生から30分後、

嫁から『地震大変』の4文字だけのメールが帰ってきました。


生きている事に感謝し涙が止まりませんでした。。


その後、私の家族は全員連絡がとれ、また嫁の家族も全員無事が確認でき、神様に感謝しました。


しかし宮城県の親戚の安否がまったく分からない状況が始まりました。


そんな時、沢山の方に捜索の協力をいただき本当に感謝しております。


しかし丸2日間なにも連絡がとれず。。


爺さん婆さんは80歳こえてるし、婆さんは脳梗塞を患った後で車椅子。住居の富谷町とは仙台のすぐ上。震源地のすぐ近く。とにかく心配でした。


また横浜にいる私の母親の精神状態がとにかく心配でした。
私が出来る事は安否確認。


ブログ、ツイッター、mixi。また宮城県庁、仙台空港の側の名取市役所に連絡確認。Googleの安否確認サイトに登録。TV3チャンネルの安否確認放送に連絡。
つながるまで何度もかけました。


出来る事を頑張りました。


そして昨日、婆さんの孫の携帯がつながり全員の生存が確認できました。


本当に良かった。
生きている事だけに感謝しました。


しかしまだ沢山の被災者、助けを求めている人、避難生活の方を考えると胸が痛くなります。


まだまだみんなが頑張っている。
私に出来る事をやらなければ。


しかしまだ不安が。。

福島原発が嫁のいる家から『60km』しかないんです。


もしチェルノブイリのような原発事故が発生したらと考えると。。


今は避難範囲が『20km』。


地震、津波、原発事故。


まだまだみんなが生きるために、頑張っている。


不安な日々を私も感じています。


生きている事に感謝して、生きていく為に今を生きます。


私に出来る事。


世界各国の人々も動いている。


だから日本人全員で今を生きよう!


生きている事をみんなで感じよう!



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