〈序文〉
枯れてから咲く花を信じるか?
僕は見たことある
名前はBlues
きっとそう呼ぶんだ
これはBlues
酸いも甘いも味わい
辛酸を舐め乾きを癒し
苦虫を噛み飢えを満たしきた男の歌
加齢はBluesやhiphopでは武器
サビた弦のような喉から絞るFlow
針が走る顔の皺
刻まれた傷
自身がブルース/hiphopと化す
だが彼のライムに悲壮感はない
シモから愛までポジを保ち進む
Bluesは憂鬱だけではない
悲しみは生きてれば当たり前
かと言って割り切れない
その割り切れずにこぼれ落ちた何かを
悲しみで終わらすのではなく
ライム、言葉、笑顔に変え聴き手に届ける
さて前説はここまで
彼が歌い出す
これはテールーのの集大成では無い
まだ通過点
なぜなら生きている限りまた次のbeatが聴こえてくるから
〈テールーというMCについて〉
僕も詳しくはよく知らない。
しかし、日本語ラップが世に広まりだす頃からマイクを握っている男なんだなと漠然と認識している。
彼と出会ったのはOVBがきっかけだったと思う。
ラップが上手い人だなというのがライブを観た印象。
上手いの基準は多々有るが、僕の定義は「ラップがビートに合わせている」かどうかだ。
決して「ラッパーがビートメイカーに合わせるべき」という事ではない。
やはりあくまでビートありきの歌唱法なのでビートのグルーヴやタイム感、メロディのコードにラップを合わせた方が音楽的に聴きやすくなるのは事実だ。
テールーのFLOWはビートのニュアンスを汲み取り、気持ちの良いタイミングで常にラップをしているように感じる。
このアルバムのタイトル『How Many BEATMAKER’s』の名が示すように彼自身のビートとビートメイカーにもつリスペクトかつ謙虚な姿勢が、彼のFLOWを生み出しているのだろう。
リリックについては非常にフリースタイル的だ。
ビートを聴いてその場で思いついてフレーズを脈絡なくFLOWしている感覚。
分かりやすく例えるなら「鎮座ドープネス」的なラップ(本人が嬉しいかどうかは別として僕個人はそんな印象を受けた)
つまりフレーズの意味性(言語学的には音韻)よりも響き(言語学的には音響)を重視したリリックを展開している。
昨今、共感・共鳴ばかりもてはやされて音楽性を犠牲にしても共感を重視する女々しいリリックが多い中で(デッドマンズはそういう頑張ってます系のラップが大嫌い)音楽として聴けるラップをするMCは稀有だがとても重要だ。
最後にライムについてだが、これは彼の年齢がそうさせるのか、あるいは彼なりの美学があるのかわからないが、ほぼ親父ギャグ的である。
似たような響きの言葉をビートのタイム感に合わせてライムしている。
2小節や4小節で聴かすよりは、verase単位/楽曲単位でスムースに聴かせることに重点を置いているからこそ、ライムやリリックが心地よく聴き流せる
程度に軽めに作られているのかもしれない。
つらつら語ったが、上記の内容はあくまで僕の個人的な考察と分析であって、彼から聴いた内容ではないので、彼自身がこれを読んで的外れと感じたなら申し訳ない。謝罪の先払いをしておこうと思う。
〈アルバム構成について〉
このアルバムは彼が毎月おこなっている「月一リリース」の集大成である。
つまりシングルの集合体と言える。
「アルバム制作」はその人なりのシナリオやストーリーという一本の道筋がある上で作られているので、アルバム全体を通して共通したニュアンスやメッセージ、起承転結(あるいは序破急)の一方向に流れる時間が観て取れる。
対してシングルの集合体(要はベスト盤)は作られた時期やその曲の内容を問わず単体曲の詰め合わせなので、上記したような共通したニュアンスや時系列ははあまり感じられない。
このアルバムを聴いたリスナーはもしかしたらこう感じてるかもしれない。
「尻切れとんぼだな」
僕も最初はそう感じた。
しかし、僕なりの考察を聴いてほしい。
これは1人の勤め人の通勤ソングなのかもしれない。
アルバム前半三分の一くらいまでは哀愁漂う曲が占めていて、中盤から後半になるにつれてテンションが上がったり、お気楽になったり、楽し気な雰囲気が増えているように感じる。
まるでサラリーマンの1日のようだ。
朝は憂鬱な気持ちで電車に乗り、定時が近づくに連れて元気になる。
ラストが尻すぼみに感じるのは酒飲んでそのまま眠ったのかもしれない。
そして気づくと朝になっていて、また通勤電車に乗り込む。
つまり気づいたらいつの間にか朝になっているような感覚で一曲目に戻っているのだ。
その繰り返しの毎日を「ループ」と呼ぶか「グルーヴ」と呼ぶか。
少なくとも彼の生き方はグルーヴなのだろう。
単調なループから快感を見つけ出し、それをひたすら楽しんで生きる。そしてたまにクラブなどでライブをする非日常が入り込む。
彼の人生の根底にはHIPHOPがあり、一見退屈な日常さえも楽しもう、愛おしもうというポジティブな姿勢と、諦めと悟りの中間のような哀愁を感じる。
まだ年若いリスナーは「平凡な人生や趣味的に音楽をやるなんて嫌だ」と思うかもしれない。
わかってないな。
テールーのように呼吸と音楽が結びついているような人生を送るのは並大抵ではないのだよ。
僕が主催するイベントで若手を差し置いてビートライブ中にひたすらマイクを握る続けたのはテールーなのだ。ほっといてもずっとラップをし続ける隠れた猛者だ。
今ではさざなみや凪のように穏やかな彼だが、その静けさを会得するのには見えない苦労や波瀾万丈な経験がきっとあったのだろう。
だから良いかい学生さん。テールーが趣味でラップをしているなんて思わない方がいい。
上記のイベント時僕は彼に「ずっとラップしてますね」と言ったら彼は「ラッパーなら当たり前」と涼しい顔で言ってのけたんだ。
俺は知ってる。彼の牙はまだまだ錆びついていない。
むしろ無駄が削ぎ落とされて研ぎ澄まされているの俺は知っている。
ゴールデンカムイというマンガの土方歳三がこう言っていた「おいぼれを見たら死に損ないではなく、生き残りと思え」
間違いない。彼は日本語ラップの生き残りなのだ。
〈各曲について〉
ここからは各曲について一言二言、僕の主観100%のレビューを記していく。
①Re:Re:Re:Re:Re:Re:宴(Prod. by 和龍)
一曲はテールーの人生のダイジェストのように感じた。
勤続歴の長い会社で一筋に働いている姿や仲間の死やライブをしている風景が電車の窓を流れる風景のように描写される。
和龍のビートも始発の朝焼けなのか、夜もふけた丑三つ時なのか、どちらとも取れるような哀愁の漂うビートがとてもリリカルで素晴らしい。
②Put your hands up(Beat by Silly BOY)
2曲目を聴いて一曲目の謎が解けた。
1曲目は目覚ましが鳴りベッドでまどろんでいる時間の曲なのだ。
2曲目テールーは通勤電車に乗って仕事に向かっている。
いつもの電車内でPut your hands up !! 吊り革に捕まれ!!
会議中にPut your hands up!! 自分の意見を言えよ!!
そんなメッセージは無いのかもしれないが、この曲があなたの通勤ソングになったのならば、テールーもラッパー冥利に尽きるだろう。
ビートメイカーはOVB代表Silly BOY。
小節の終わりに入っているチープなシンセ音のリフが僕的には好きだ。
あとギターは弾いているのかな?
力強くも情緒に訴えかけるフレーズがとても好きだ。
③Hey BEATMAKER リ feat.MIKI.O(Beat by end of youth)
シカゴハウス的なパーカッションとシンプルなシンセのリフと.MIKI.Oの歌声で始まるこの曲はとても心地よい。
どこの誰のビートかと思ったらPhantomのendさんやないかい。
やはりこの人のビートは時代問わず一定層のツボを突くビートやな。
アルバム内でも踊ることにこだわった一曲だろう。
テールーと.MIKI.Oの相性の良さが伺える静かなるダンスチューン。
④I love Mary(Beat by nerd music club)
出だしでnerad music clubと分かる一曲。
相変わらず音で映像を魅せるビートの巨匠。
尾崎豊をサンプリングしたテールーのラップにjazzyでlo-fiなビートとテールーの過去の後悔が絡む楽曲。
⑤How to Mary Jane(Track by satrack)
一聴してsatrackと分かる鬼のワンループ。
人懐っこいというかどこかひょうきんなワンループ。
酔っ払いの鼻歌のようなホーンが特徴的なビートにビール3杯目くらいのほろ酔いFLOWが乗る一曲。
⑥Super Star(Beat by end of youth)
Group Homeのクラシックを引用したタイトルのこのビートはまたもend of youth。
初期のデトロイトテクノのような音使いが特徴的なビートだ。
lets’get tonightの声ネタを軸にFLOWする展開が心地良い。
⑦Reichill(Beat by Rei)
OVBで最も謎なReiさんのビート。
昔の808によくあるドラムパターンが逆に新しく聴こえてくる。
ミニマルなpadシンセのメロディが心地良い。
昼下がりのコーヒーブレイクというなんでもない時間を瞬間的に描写した一曲。
vereseの後半に出てくるしょうもないしりとりリリックが、どうでもいい時間を上手く表している。
⑧Reichill 弐 feat.Meirin(Beat by Rei)
上記の曲はこの曲の長いイントロだったのか。
Reiさんメロディ作るの上手いな。
「いつまで経っても箱の中」「いつまで経っても倉庫の中」
「早く出たいよ」
このリリックが勤め人の苦労と願望を表しているように聴こえる。
非常にリアリティのあるリリックだ。
「運が良ければギネスに載るかな」という夢物語なリリックが一曲前に飲んだコーヒーのように、苦みばしって染み込んでいく。
⑨愛のフィーバーナイト(feat.Prod. by ジョージ牛)
結論から言うと「おっさんたち良い加減にしろ」である。
なんだこの曲は?
何がライトセイバーだ。
フィーバーしているのあんた達だけだ!!
しかし、ジョージ牛のディスコ丸出しのビートは癖になる。
⑩That's KuZu(ONE VINYL BEATS & 1rec.record主催’1ミニッツ企画’Beat)
9曲目のアホらしさをカバーして余りある素晴らしいビートだ。
1分でここまでの起承転結を聴かせるビートメイカーは世界広しといえども1recさんだけだろう。
改めてこのアルバムはビートメイカーが豪華すぎる!!
⑪The Most Beautifullest Thing in This World(Track by satrack)
鬼のワンループ satrack先生の2曲目。
これを最後にもってきたことによって、またいつの間に一曲目に戻っているというアルバムの構成が生まれているのだと思う。
音抜きのタイミングが相変わらず完璧(僕はsatrackを音抜き教授と読んでいる)
〈終わりに〉
アルバムの構成の章で僕が語った考察の意味がわかっただろうか?
この曲に目立つ派手な曲はないと思う。
それは彼が過ごす日常、音楽活動、それらが地に足がついているが故だろう。
しかし時には宇宙に漂うような心地よい浮遊感も感じられる。
ブラックミュージックは天と地を表しているのだと思う。
ストリートから宇宙までがブラックミュージックの振り幅なのだ。
宇宙の中の自分、自分の中の宇宙、それが円環の理を表し、全と一、一
と全を結びつける円運動のグルーヴを生み出す。
なんて書いたら大袈裟かな。
だがそう考えると我々が生きる退屈な日常にもグルーヴを見出せるのではないだろうか?
彼の月1リリースは今も続いている。
次のアルバムが楽しみだ。
そんなことをつらつらと書き記していたら聴こえてくる「次のビートが…」