珍酒運転1stアルバム『珍酒運転』
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documentary:虚構を加えずに構成された映画・放送番組や文学作品など。
真の意味でドキュメンタリーというものは存在するだろうか?
例えば大自然を写した映画や番組、夕方のニュースで放送される警察24時(今もあるのか?)に大家族ものや犯罪録。
あれらは全て事実を映しているのだろうか?
否。断じて否。全ての番組や文学に歴史書、YouTubeのチャンネルも全て「編集」がなされている。編集されている時点で編集者の意図が介入し、事実は改ざんされ視聴者の印象は操作されている。それは真の意味でドキュメンタリーとは言えないだろう。
ではSNSはどうだろうか?
これも結論は変わらない。投稿者は見せたい事実だけを見せて、観ている人間の印象を誘導している。つまりは虚構だ。
それならrapperの作品はどうだろうか?
おそらくこれもほとんどは虚構だ(もちろん本物はいるだろうがごく少数)。TV屋の造るエセドキュメンタリーに比べれば事実に肉薄しているだろうがほぼ虚構。我々が観ているのはそのラッパーが見せたい自分、演じたい自分、認めてほしい自分。つまり社会的性格(Social character)でしかない。
女性の化粧に喩えよう。
TV屋が捏造する画がインスタでよくある整形ばりのメイクだとしたら、ラッパーのリリックはナチュラルメイク(化粧をしていない風に見せるメイク)のようなものだと思う。
一応言っておくが女性のメイクを揶揄しているわけではない。それは立派な技術だ。(こういう注釈を書いておかないと文盲達がdisと捉えて騒ぎ出しかねない。やれやれだ。このままだと世界は注釈で埋め尽くされてしまうな)
ラッパーの語るリアルライフやら等身大の言葉やら。これらはリアル風であり等身大風だ。結局ラッパーが見てほしい部分だけを抽出してリリックに落とし込んでいるだけなのだ。
ならばそこまで言うなら珍酒運転のこのアルバムはどうなんだ?
もちろん編集、化粧はされているがほぼ無いに等しいと私は思う。
大袈裟な人生讃歌は無い。
絶望に苛まれてるわけでは無い。
悲劇を歌うわけでも無い。
夢に向かって頑張ってもない。
元気やポジティブを押し付けたりしない。
逆境に生きる主人公を演じるわけでも無い。
このアルバムが歌っているのはただの生活である。かと言って名もなき花を尊ぶような歌でも無い。本当にただの生活がそこにあるだけだ。
それは真のドキュメンタリーに限りなく近い。自己弁護や自己演出をするような修辞法は使われず、カッコ悪い自分を開き直ってカッコつけてもいない。
ただそこにある生活を rapしているだけの稀有な作品だ。
自己演出という名のハッタリが蔓延る世の中(反吐が出る)でここまでカッコつけないでいられるのは逆に物凄く難しいことだろう。
さて、私のごたくはここまでにして、良い加減に珍酒運転の2人の話をしよう。
珍酒運転 are
・satrack(beat make/rap)
・gari-guerrilla(rap)
新宿ゴールデン街の飲み屋で知り合ったのが2人の出会いとの事。
satrackはbeat create集団「Phantom tr∞perz)のメンバーでもある。
無印のsp404とDJミキサーだけというミニマルにも程があるセットでdopeなbeatを生成するbeat makerだ。
gari-guerrillaは元役者や元芸人という経歴をもつ rapperだ。
このアルバムはまずbeatが抜群に良い‼︎
インストverのアルバムが欲しいくらいだ‼︎
はっきり言って2人の rapはこのスキルのインフラが整っている令和の時代において決して上手いとは言えない。
しかしそれが良い。それだから良い。
誰もがラップが上手い時代にここまでラップのスキルを気にせず、その瞬間にただやりたいように言いたい事を適当に rapする絶妙な緩さ加減‼︎(褒めてるからね)
これこそ「等身大」や「生活に根付いた」という枕詞がピッタリだと思う。
スキルやリリックにおいても誇張、虚構、虚飾の無い生身の感触が味わえる。
一流シェフの料理は毎日食べると飽きると言う。それに対してこれは白米と味噌汁のように毎日食べても飽きない作品だ。
それを「地味」と言うのだろう。目立ちはしないが地の味を飽きずに味わう事ができるというのはとても素晴らしい事だ。
その証拠に私はこのレビューを書きながらすでにアルバムを5周している。
味噌汁なら「馬鹿の三杯汁」と揶揄されそうだが構うものか!
なんだか癖になってリピートボタンを押す指が止まらない‼︎
身内というエコ贔屓無しに断言する。
「このアルバムは傑作だ!」
あなたもまだ未聴なら早めに聴くことをお勧めする。
掃除しながらでも料理作りながらでも帰宅途中やドタキャンされた空き時間でも、どんな時間にもなんとなく馴染むはずだ。
何かしなくちゃ、何者かにならなくちゃと焦燥感に駆られる現代人に必要な音楽ってこういうものじゃないのか?
名もなきものに無理に名前なんか要らないんだよ。
認知できないし、有るのか無いのかも曖昧だが、ただそこにあるだけの瞬間、空気、感情、呼吸。それを否定も肯定もせず聞いてるのか聞いてないのか分からない調子で頷いている。
例えるなら珍酒運転のアルバムは何となく一緒にいると心地良い飲み友達ってところだろう。
幸福だろうが不幸だろうが、良いことあっても嫌なことあっても生活は地味に続く。
なら悩むのは適当にしておいてとりあえずは飲もう‼︎